文/印南敦史

『こころの相続』(五木寛之 著、SB新書)のなかで作家の五木寛之氏は、昔から魚の食べ方が下手だったことを明かしている。

魚料理は好きなのに、きれいに食べることができない。そのため、食べ終えた皿の上を見ると気恥ずかしい思いをすることがたびたびあったというのである。

それは私も同じなので、食後の皿についての「魚の残骸というか、骨や皮や頭や尻っぽがグチャグチャになって、見るに耐えない惨状を呈している」という描写には、「まったく同じだな」と共感するしかないのであった。

印象的なのは、出版社との打ち合わせのあと、編集者数人と食堂で食事をしたときのエピソードだ。

その中に二十代と思われる新人の女性編集者がいて、控え目にみなの話を聞いていたのです。なよなよした感じの全然ない、ボーイッシュな娘さんでした。食事のあと、彼女の前のお皿を見て、ひどく感心したのです。(中略)
魚の骨が、まるで標本みたいに、じつに綺麗に皿の上に横たわっていたからです。
最近、そんなふうに見事に、魚を食べる若者を見たことがありません。(本書12〜13ページより引用)

聞けばその女性編集者の家では母親が魚の食べ方にうるさく、その母もまた、昔は祖母からいつも叱られていたのだという。つまり彼女は、祖母、母親、自分と、三代続いた魚の食べ方をしていたというわけだ。

そのときふと思ったのは、親や家から相続するのは、財産ばかりではないのだな、ということでした。土地や、株や、貯金などを、身内で相続するのは当然のことです。しかし、人が相続するのはモノだけではない。目には見えないたくさんのものを私たちは相続するのではないか。(本書14ページより引用)

もちろん、魚の食べ方はそのひとつにすぎない。しかしいずれにしても、私たちは自分では気づかないうちに、驚くほど多くのものを相続していると考えたほうがいいのだろう。

したがって著者も、「自分が親や家からなにを相続してきたのか、子どもたちや孫の世代になにを相続させるのか」ということを、改めて違う角度から見なおしたほうがいいと主張している。

すなわちそれが、「こころの相続」なのである。

だが当然のことながら、相続していながらそれに気づかなかったりすることはいくらでもありそうだ。また逆に、「これは明らかに相続だな」と感じることのできるものもあるに違いない。

たとえば著者は自身の喋り方について、形のうえでは共通語であるものの、アクセントやイントネーションはまったくの九州弁、正確にいえば福岡の筑後弁だと自覚しているという。

両親ともに福岡人だったため、喋り方もまた、父母から受け継いだというわけだ。

同じように食べ物に関する嗜好も、味つけの好みも九州由来であり、それもまた両親からの相続。

私の家では正月の雑煮に入れる餅は、丸い餅でした。餅とはすべて円いものだ、と思い込んでいました。東京へ来てから四角い餅の存在を知ったのです。
また正月の雑煮に鶏肉を入れ、味噌仕立てにするのも、郷里の流儀でした。(本書21ページより引用)

コロナの影響で、今年の正月は帰省できなかったという方も多いのではないかと思う。だが配偶者の実家に帰省したとき、著者と同じように雑煮の違いに驚かれた経験がある方は決して少なくないのではないだろうか。

それは、家の宗旨についても言える。著者も子どものころ、両親が仏壇の前でなにか唱えているのを聞いた記憶があるそうだ。ところが、子ども心に呪文のように聞こえたそれが『正信偈(しょうしんげ)』という真宗門徒の唱えるお勤めのことばであることを知ったのは、かなりあとになってからのことだったようだ。

すなわち、親鸞がまとめ、蓮如が定めた真宗の「作法の相続」が忘れられていたということである。

以前、韓国の地方の駅のキオスクで買物をして、売り子の娘さんが釣り銭を差し出すときに、右手の肘の下にそっと手をそえて渡してくれたのが、すごく優雅に感じられたことがありました。
韓国で昔、長袖の服を着ていたころの名残でしょうか。
家というより、社会から相続した身振りだったのかもしれません。(本書22〜23ページより引用)

そんなところからもわかるとおり、私たちは親や先輩からだけ相続しているわけではない。社会からも、目に目ないさまざまなものを引き継いでいるということだ。

新たな年が始まったいま、そんな、「当たり前だけれど大切なこと」を改めて考えなおしてみるのもいいのではないだろうか。

『こころの相続』
五木寛之 著 SB新書

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文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)などがある。新刊は『書評の仕事』 (ワニブックスPLUS新書)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

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