中国の文化財は、ほとんどが地下からの出土品といってよい。その多くは皇帝たちの墓から掘り出されたものである。
中国古代の皇帝たちは不老不死を願い、この世での生が終われば第二の生を地下で過ごそうとした。そこで地上の宮殿を原寸大で地下の墓に再現。その結果、墓は巨大になるばかりとなった。
こうした「永遠に生きたい」という欲望は、約3700年前に栄えた殷(いん)の時代に始まる。当時の王墓からは、殉死(じゅんし)して葬むられた多くの殉葬者が確認されている。なかには子供たちもおり、いずれも生前の王様に仕えた者だ。
この世での生活が墓の中でも続くという不老不死の思いが、まことにむごたらしい習慣を作り出したのだ。
しかし墓の規模はますます巨大化し、西安(せいあん)郊外にある秦(しん)の始皇帝陵(しこうていりょう)でピークに達した。その陵墓からはおびただしい数の副葬品が発掘された。
圧巻は等身大の兵や馬などの像。それらを兵馬俑(へいばよう)といい、その数は約7300体、兵士の顔の表情はすべて異なっている。なぜ等身大なのかはもはや明らかであろう。それらはかつての殉葬者に代わる像なのだ。
紀元後82年ごろに成立した『漢書』によれば墓の始皇帝には毎日4度食事が捧げられていたという。
文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園」完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。
※本記事は「まいにちサライ」2013年10月31日掲載分を転載したものです。