……いかがでしたか?
ズバリ正解は、「(は)朝鮮人参の安定供給」です。ヒントから推測された方もいるかもしれませんね。
では、どのような経緯があって長崎屋で朝鮮人参を供給することになったのか、解説を見ていきましょう。
すぐれた効能を持つことで知られる朝鮮人参は、江戸時代前期は、おもに対馬藩の朝鮮貿易によって輸入されていた。
対馬藩は輸入した朝鮮人参を藩邸で販売するほか、江戸に小売所(人参座)を設けて一般町人にも売っていた。しかし、山中で自生するものを採取していたため産出量にばらつきがあり、江戸の人参不足は解消されなかった。
そこで幕府は安定的に人参を供給しようと考え、対馬藩とは別に、長崎を窓口に中国から入る人参に注目した。
そして享保20年(1735)長崎と江戸に唐人参座を設立。江戸では本石町の長崎屋に置かれて人参の販売が行われた。一方で吉宗は人参の国産化も推進。栽培は成功し、安定供給が実現する。
とはいえ、宝暦頃の並人参1両目(15グラム)ほぼ金1両という高価なものだった。
江戸の歴史に詳しい方でも、長崎屋で人参の販売が行われていることはご存じなかったのではないでしょうか。正解できた方は、ご自身の博識を誇ってください!
※「江戸検」受検申し込みの詳細については、下記のサイトをご覧ください。
http://www.edoken.jp/
※問題の出典:『江戸文化歴史検定 出題問題公式解説集 第2回江戸吟味問答控』
https://www.shogakukan.co.jp/books/09626610
取材・文/藤岡あかね