今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「夢と機会が偶然交触することによって人生の蜃気楼は生れ出る」
--薩摩治郎八

薩摩治郎八を評して、仏文学者の堀口大学が記したこんな一文が残っている。

「薩摩治郎八君が僕の知る限り、ヨーロッパの社交生活に、長期に渡って一番派手に金を使い続けた日本人だ。(略)薩摩君のは、只なんとなく使ったのだ。ヨーロッパの社交生活を楽しむために使ったのだ。自分も楽しみ、人を楽しませる以外の目的なしに只何となく使ったのだ。この点に僕は感心する」(『薩摩君のこと』)

過去に、短期間だけ華やかな暮らしをしたり、美術品の収集などに大金を投じた貴族や実業家はいても、薩摩治郎八のように長期間にわたってただなんとなく巨額の金を使った人物はいないというのである。

薩摩治郎八は明治34年(1901)東京で生まれた。父方の祖父は一代で巨富を築いた木綿王、母方の祖父は日本の毛織物産業の創始者という血筋。神田駿河台の生家は敷地1万数千坪で、地下のカーブにはフランスから直送のワイン樽がずらりと並ぶ。薩摩は幼少期から「食事にワインはつきもの」という暮らしを身につけたという。

18歳で英オックスフォード大に留学。家からの仕送りは月1万円。これは現在の金額に換算すると、およそ3000万円に当たるというから腰を抜かす。19歳でパリに渡り、画家の藤田嗣治をはじめとする芸術家たちを支援しパトロンとなった。

一方で、薩摩は伯爵令嬢の妻・千代子を娶り、夫婦してパリの社交界に出入りして人気を集めた。愛称は「バロン・サツマ」。爵位もないのに「バロン(男爵)」の称号を獲得する辺り、財力もさることながら、ふるまいや教養にも高尚で人を惹きつけるところがあったのだろう。純銀の車に千代子を乗せて、カンヌの自動車コンクールに出場して優勝するなど、話題にも事欠かなかった。

フランス政府が世界の文化交流と平和促進を図るため建設を進めていた「パリ大学都市」に、日本館を建てたのも薩摩だった。本来なら日本政府が金を出すべきものだったが、関東大震災の直後で資金難に陥っており、薩摩が私財でこれを肩代わりした恰好だった。

日本館完成の夜には、高級名門ホテルのリッツにマロー文部大臣をはじめパリの名士300 人を招いて大晩餐会を開催。もちろん、これも薩摩の払いだった。

ヨーロッパ滞在は、およそ30年の長きにわたった。この間に使った金は600 億円ともいわれ、帰国した薩摩はほとんど無一文だった。

掲出のことばは、そんな薩摩が自らのヨーロッパ生活を回想した随筆集『せ・し・ぼん』のまえがきに綴ったもの。

その見事過ぎるほどの散財ぶりは、常人から見れば、まことに蜃気楼のようなものに思えてならない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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