文/濱田浩一郎

軍学書『甲陽軍鑑』について
羽柴秀長を主人公とする大河ドラマ「豊臣兄弟!」では甲斐国の戦国大名・武田信玄を髙嶋政伸さんが演じることになっています。高嶋さんと言えば1996年放送の大河ドラマ「秀吉」において秀吉の弟・秀長を演じたことで知られています。高嶋さんが信玄をどのように演じるのか、今から楽しみですが、その武田氏の戦略・戦術を記した書物として有名なのが『甲陽軍鑑』(以下『軍鑑』と略記することあり)です。同書は江戸時代初期に編纂された軍学書であり、その著者については諸説ありますが、軍学者・小幡景憲が有力となっています。この『甲陽軍鑑』には信玄の事績のみならず、信玄の敵となる尾張の織田信長についても記述されています。
では同書には若い頃の信長についてどのように書いているのでしょうか。同書には先ず、信長は13歳の頃、お寺に入ったとあります。僧侶について勉学に励むためです。ところが信長は手習いなどせず、その振る舞いも良くなかったとのこと。この辺りのことについては『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記)にも、まだ吉法師と名乗っていた頃の元服前の信長が「天王坊」という寺に上ったことが書かれています。ただ信長が寺で勉学に励んだのか、怠けていたのかまでは記されていません。しかし信長は16歳から18歳頃までは「別の御遊びは御座なく」とありますので、遊び呆けていた訳ではありませんでした。
さて『甲陽軍鑑』において、全てのことにおいてその振る舞い悪しくと書かれた年少の信長ですが、どのような振る舞いをしたのでしょうか。『軍鑑』には手習いの朋友が食べているものを奪い取って食べたということが書かれています。『信長公記』には人が食べているものを奪い取って信長が食べたとまでは書かれていません。ただ町を歩く時に人目も憚ることなく、栗や柿、瓜などにかぶりつき、立ちながら餅を食べたとは記されています。更には人によりかかったり、人の肩にぶら下がるようにして信長は歩いていたとされます。こうした信長の振る舞いを『信長公記』は「見悪事あり」(見苦しいこと)と評しています。信長の振る舞いを見聞し、人々は彼のことを「大うつけ」(大馬鹿者)と囁き合ったのでした。『軍鑑』においても、人々は信長の行動を見て「これでは物の役に立たない。織田信秀の息子とは思えない」などと嘲ったと記されています。
若き日の信長は「うつけ」だったのか?
しかし、『軍鑑』ではそれに続いて信長の興味深い逸話が記述されます。ある時、信長は手習いの朋友や近所の子供ら30人余りを呼び集め、竹木の枝で槍や刀を拵えて「たたき合」(叩き合い)の企てをします。模擬戦をしようとしたのです。信長はこの時までに母のもとから「代物(銭)十疋」を持って来ておりました。信長はそれを取り出し、味方の中で強そうな者に2銭・3銭ずつ与えます。子供らはその後、2つに分かれて叩き合いをしたのですが、思う存分、叩き合いをします。
その際、信長の「味方」となった子供らは「約束の如く、残りの銭を下さい」と申し出て、銭を取って帰りました。その様を見た寺の法印は「さては頼もしき人なり。必ず後に誉れの良将となるべし」と信長を評したとのこと。叩き合いをする前に大勢の子供たちのなかから良き者を選び出し「代物」を取らせただけでなく、働きに応じて後で与える銭を残しておいたことが「ただ人にはなるまじき」と感じられたのです。『甲陽軍鑑』によると、信長13歳の時の逸話です。
『信長公記』にはこの逸話は記されていませんが、信長は18歳頃までは遊ぶことなく、朝夕、馬の稽古に励んだり、水練をしたり、弓・鉄砲の稽古をしたりしたとは書かれています。ただ『軍鑑』の叩き合いと少し似た話は記されていて、それはある時、信長は竹槍による叩き合いを見たそうです。その時、信長は「槍は短くてはいかぬ」と言って「三間柄」(さんげんえ、約5.4メートル)、「三間間中柄」(さんげんまなかえ、三間半:約6.3メートル)の槍にしたとのこと。
このことについて『信長公記』は凄いとも何とも語っていませんが、信長の卓抜さを示す話ではあるでしょう。後に信長は舅の斎藤道三(美濃の戦国大名)と対面することになりますが、その時、道三は美濃衆の槍は短く、尾張衆の槍が長いのを見て、不機嫌になったと言います。『甲陽軍鑑』『信長公記』には若き頃の信長が只者でないこと、また将来、大成することが記されていたのでした。
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。











