戦後、『東京ブギウギ』『青い山脈』などのヒット曲を作曲
第二次世界大戦後、音楽活動を再開した良一が初めにしたのは、榎本健一率いる『踊る竜宮城』の音楽担当。昭和22(1947)には笠置シヅ子が歌う『東京ブギウギ』を作曲し、戦後の暗い世相を明るく盛り立てます。この『東京ブギウギ』は上海で聴いた生バンドの演奏がきっかけとなって生まれたそうです。
この後も、『買物ブギー』、『銀座カンカン娘』、『青い山脈』と次々とヒット曲を世に生み出し、日本ポップス音楽界の草分け的存在となりました。
『買物ブギー』では「村雨まさを」のペンネームで作詞もしています。
映画音楽や舞台音楽から校歌なども作曲し、生涯で作編曲した数は優に3000曲を超えました。
日本音楽界の基礎を築く
昭和34年(1959)には日本作曲家協会理事長として、古賀政男、平井賢とともに優れたクリエーターや歌手を称える「日本レコード大賞」の創設に尽力します。このような活動は、日本の音楽シーンの礎を築いたと言っても過言ではないでしょう。
その後、平成5年(1993)1月30日に亡くなります。享年85歳でした。没後に、国民栄誉賞が贈られています。
まとめ
服部良一の作曲した『東京ブギウギ』は、戦後沈んでいた日本を音楽の力で明るくしました。今聞いても斬新さを感じさせる、彼の曲は、これからも歌い継がれていくのでしょう。
文/京都メディアライン
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引用・参考図書/
『日本代百科全書』(小学館)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
服部良一オフィシャルサイト
BSテレ東・昭和歌謡 作曲家・服部良一の真髄