短い夫婦生活の終わり

突然離縁させられ、家康の正室になることが決まった旭姫。駿府城(現在の静岡県静岡市にあった城)に移住したため、駿河御前と呼ばれるようになりました。しかし、家康との生活は長続きせず、わずか2年で京都の聚楽第(じゅらくだい)へ引き返すこととなります。

理由は、体調を崩した実母・仲の見舞いであると言われています。聚楽第にて母の看病をしていたそうですが、旭姫自身も病弱だったため、天正18年(1590)、48歳で病没してしまいました。

『聚楽第図屏風』部分(三井記念美術館蔵) 
秀吉の政庁兼邸宅として作られた。

まとめ

兄・秀吉の命で、強制的に家康の正室にさせられた旭姫。いわゆる政略結婚ですが、家康は旭姫の死後、京都の東福寺と駿府の瑞龍寺に彼女のお墓を作ったと言われています。天下人に振り回された不憫な女性というイメージが強い旭姫ですが、自分の運命を受け入れて逞しく生き、家康もまた彼女のことを理解していたのではないでしょうか?

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/とよだまほ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『世界大百科事典』(平凡社)

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