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アマゾン・アレクサにロックをかけてというと「70年代80年代のクラシックロックをお聞かせします」と反応する。かつて洋楽と呼ばれたロック・ミュージックは、今やクラシックの領域である。されどこのカルチャーは僕たちの生きる糧になった。このムーブメントを伝説の旅作家・桑田英彦(くわた ひでひこ)と放浪する写真家・小平尚典(こひら なおのり)の2人が、旅先のバーラウンジで杯を交わしながら語ったロック大全を皆さんにお届けする。
まずはすべてのルーツとなったホーム・オブ・ブルース、ミシシッピからはじめよう。

【前編はこちら

小平:グリーンウッドやクラークスデイルの観光資源はまさにブルースですね。

桑田:グリーンウッドの町には「ロバート・ジョンソン・ライフ&レガシー・ツアー」という、彼のゆかりの地をまわるトレイル・コースが観光局によって設けられています。毒殺されたロバート・ジョンソンは、グリーンウッドの町はずれにあるリトル・ザイオン・バプティスト教会の墓地に埋葬されたのですが、このツアーのハイライトがこの墓地です。さすがは伝説だらけのロバート・ジョンソンらしく、このコースには、レコード会社やファンが設置したものを含めて3ヶ所に彼の墓があります。ミシシッピ・ブルース・トレイル・ファンデーションが正式にトレイル・マーカーを設置するために、3か所ある墓の設置経緯を調べた結果、この場所の墓が本物と認定されました。決め手になったのはローズ・エスクリッジという女性の証言です。役所から提供されたパイン材の棺に入ったロバート・ジョンソンをここに埋葬したのが彼女の夫トムで、ローズはその一部始終を見ていました。この墓標は、ブルース研究家であり、ロバート・ジョンソンの写真などの権利を保有しているスティーブ・ラヴィアが2002年に寄贈したもので、墓石には、死の床で話すことができなくなったロバート・ジョンソンが紙に書き記した直筆文字(ロバート・ジョンソンの妹、ケアリー・トンプソンが鑑定)が刻まれています。

グリーンウッド郊外のリトル・ザイオン・バプティスト教会にあるロバート・ジョンソンの墓

小平:「クロスロード伝説」はともかく、ロバート・ジョンソンの演奏能力はどこかの時点で、それこそ伝説が生まれるほどの上達を果たしたのでしょうね。

桑田:メンフィスとクラークスデイルの中間地点にトゥーニカという町があります。現在はカジノ開発が進み大規模リゾート地区になりましたが、1993年までこの辺りはロビンソンヴィルという町でした。1920年代後半にサン・ハウスというブルールマンがこの町に引っ越してきて、相棒のウィリー・ブラウンと一緒にこの周辺のジューク・ジョイントで演奏活動を始めました。この時期の彼らの演奏を食い入るように見つめていたのがロバート・ジョンソンなんです。サン・ハウスは1940年代にブルース・シーンから姿を消すのですが、1960年代のブルース・リバイバルの中で再発見され、1974年まで現役のブルースマンとして活動を続けて1988年に亡くなりました。復帰後の取材やインタビューも多く、その中でロバート・ジョンソンとの交流について語っています。
「ロバートは鬱陶しくなるくらいどこにでもついてきた。俺の演奏をコピーしようとしていたし、事あるごとに一緒に演奏をしたがっていたが、ハーモニカはともかく、ギターの腕前はお世辞にも使い物にならなかったよ」

ロバート・ジョンソンの生まれ故郷ヘイゼルハースト

小平:少年時代のエリック・クラプトンやキース・リチャーズを夢中にさせた、低音弦でベースラインを弾きながら、中音弦でリズムを刻み、高音弦でメロディを奏でる、あの凄技はどこで身に付けたんでしょうね?

桑田:ロバート・ジョンソンは、1930年にロビンソンヴィルから突如姿を消し、生まれ故郷のヘイズルハーストに舞い戻っています。その後の2年間はこの町で暮らしながら、当時地元では凄腕ギタリストとして知られていたアイク・ジマーマンというギタリストを探し、彼からフィンガー・ピッキングとスライド・ギターを学びました。この2年間でロバート・ジョンソンは自らの演奏スタイルを完成させたと言われています。2年間もこの町に腰を据えた理由は、地元のヴァージー・ジェーン・スミスという女性との間に子供ができたことも影響しているでしょうね。この子は1998年に、米国最高裁判所からロバート・ジョンソンの遺産相続人として認定され、約2億円の現金と今後の印税収入を受け取る権利を獲得しています。1931年にヴァージーとの関係は終わらせると、ロバート・ジョンソンはカレッタ・クラフトという女性と結婚し、翌年2人でクラークスデイルに引っ越しますが、まもなくロバート・ジョンソンはミュージシャンの生活に戻るために家を出て、再びロビンソンヴィルに向かいます。

ロバート・ジョンソンの孫娘、テレサ・ジョンソン

小平:ロビンソンヴィルに戻って、プロのミュージシャンとしてのキャリアがスタートするわけですね。1933年頃だから、短い活動期間ですね。

桑田:サン・ハウスとウィリー・ブラウンはロバート・ジョンソンの成長ぶりに腰を抜かしました。わずか2年間で、自分たちの演奏能力を凌ぐ圧倒的なギタープレイと歌唱力を身につけていたわけですから。「クロスロード伝説」はこの辺りから生まれたようですね。しばらくはサン・ハウスのバンドで演奏していたのですが、数ヶ月後には、当時このあたりではもっとも音楽が盛んだった、ミシシッピ川の対岸のアーカンソー州ヘレナに引っ越して、ここが彼の短い生涯唯一のホームタウンとなりました。

小平:その短期間のうちに生み出されたロバート・ジョンソンの音楽を、1960年代にイギリスの片田舎で暮らしていたエリック・クラプトンやキース・リチャーズが聴きあさって、その後のロック黄金時代を築くわけですね。

桑田:ロバート・ジョンソンも死後80年以上が過ぎた21世紀の現在、自分が書いた『クロスロード』『ラブ・イン・ヴェイン』『スウィート・ホーム・シカゴ』などが、多くのミュージシャンたちに演奏されているとは考えてもいなかったでしょうね。この後ブルースマンたちはシカゴにやデトロイトに向かって北上していき、アメリカのみならずイギリスのミュージシャンたちにも多大な影響を与えます。次回はマディ・ウォーターズにフォーカスして話しましょう。

小平尚典(Kohira Naonori) 写真家&メディアプロデュサー
1954年北九州市小倉北区生まれ。 1976年渡英し社会派写真家としてデビュー。 英国では毎週、ライブコンサートに明け暮れる。 1987年から2009年まで米国移住し西海岸のITリベラルアーツ写真家として活動する一方、アーティストのCDジャケットなどを担当する。 近年はライフワークとして「旅と音楽のアーカイブ」で新しい道を開拓している。著書(共著を含む) 『4/524』『This is Nomo』『TAHITI』(新潮社)『シリコンロード』『e-face』(ソフトバンクPB)『原爆の軌跡』『アトランタの案山子アラバマのワニ』(小学館)『彼はメンフィ スで生まれた』『そうだ高野山がある』『おやさと写真帖』ほか多数。

桑田英彦(Hidehiko Kuwata)
1957年岡山生まれ。音楽雑誌の編集を経て1983年渡米。4年間をロスアンゼルスで、2年間をニューヨークで過ごす。旅行会社に勤務し、様々なコーディネートや海外のミュージシャンたちのインタビューを数多く行う。帰国後、写真集、雑誌、米系航空会社機内誌、カード会員誌、企業PR誌などの海外取材を中心に編集・制作業務に携わる。著書は「ハワイアン・ミュージックの歩き方」(ダイヤモンドビッグ社)、「ミシシッピ・ブルース・トレイル」「英国ロックを歩く」「ワインで旅するカリフォルニア」「ワインで旅するイタリア」(スペースシャワーブックス)、「アメリカン・ミュージック・トレイル」(シンコーミュージック)など。

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