アマゾン・アレクサにロックをかけてというと「70年代80年代のクラシックロックをお聞かせします」と反応する。かつて洋楽と呼ばれたロック・ミュージックは、今やクラシックの領域である。されどこのカルチャーは僕たちの生きる糧になった。このムーブメントを伝説の旅作家・桑田英彦(くわた・ひでひこ)と放浪する写真家・小平尚典(こひら・なおのり)の2人が、旅先のバーラウンジで杯を交わしながら語ったロック大全を皆さんにお届けする。
まずはすべてのルーツとなったホーム・オブ・ブルース、ミシシッピからはじめよう。
小平尚典(以下小平):現在はコロナ騒動で海外に出るのが難しいから、この連載ではロックンロールというアメリカの重要な観光資源にフォーカスして、ミュージシャンやそれぞれの音楽ゆかりの地を紹介していきたいと思うんだけど、まずはローリング・ストーンズやエリック・クラプトンなどに大きなインスピレーションを与えた伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンについて話しましょう。
桑田英彦(以下桑田):ロバート・ジョンソン(1911年5月8日ミシシッピ州ヘイズルハースト生まれ)は1か所に定住することなく、人生の大半をホーボーとして暮らしました。ミシシッピを飛び出して旅を続け、シカゴ、デトロイト、ニューヨーク、そしてカナダまで足を伸ばしていたようです。生前録音した29曲の中からは『テラプレイン・ブルース』が5000枚を超えるローカル・ヒットとなりました。すでに女癖に関して悪評の高かった彼は、このヒットで少しだけ知られる存在となり女癖の悪さに拍車がかかったと伝えられています。結局、この女癖の悪さが命取りとなるのですが。
小平:聞くところによると人の女に手を出して毒殺されたとか?
桑田:1938年の夏、彼はミュージシャン仲間のハニー・ボーイ・エドワーズと共に、「スリー・フォークス」というジューク・ジョイントで数週間演奏するためミシシッピ州グリーンウッドに向かいました。この店のオーナーの妻は扇情的な女で、ロバート・ジョンソンの女癖の悪さに瞬く間に火を点けたようです。グリーンウッドの町でデートを繰り返す2人の仲は、間もなくオーナーである夫に知られてしまいます。そして週末の夜、嫉妬に狂った夫は、何食わぬ顔で店に出演していたロバート・ジョンソンに毒を盛ったウィスキーの小瓶を手渡したんです。ハニー・ボーイは「開封されたウィスキーは飲むな!」と忠告したらしいのですが、彼は疑いもせずこれを飲んでしまった。店で倒れた後、もがき苦しみながら2日間はなんとか持ちこたえましたが、まもなくロバート・ジョンソンは肺炎を発症して、わずか27歳で亡くなりました。
小平:ロバート・ジョンソンには「クロスロード伝説」と呼ばれている、ブルース・ファンの間では有名なエピソードがありますよね。
桑田:グリーンウッドから州道49号線を1時間ほど北上するとクラークスデイルという街があります。ここに「ロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売った場所」として伝わる十字路(クロスロード)があり、ここでの“悪魔との取引”によって彼は超人的な歌唱力とギター・テクニックを手に入れたという話ですが、もちろんこれは伝説の域を出ない物語です。とはいえ、ロバート・ジョンソンが1936年と’37年に行なった2回のレコーディングで残した『クロスロード』『ラブ・イン・ヴェイン』『スウィート・ホーム・シカゴ』などの自作29曲を聴いてみると、これは実話ではないか?と思えるほど、その卓越したギター・プレイと鬼気迫るボーカルに圧倒されますね。加えて、クリーム時代のエリック・クラプトンが『クロスロード』を取り上げ、アグレッシブな素晴らしいギタープレイを世界にアピールしたことも後押しして、「クロスロード伝説」は長く語り継がれることとなり、与太話とは分かっていても、世界中のブルース・ファンがクロスロードを目指してクラークスデイルにやってくるんですね。
小平:ブルース・ファンたちは実際にクロスロードに行って記念撮影とかするの?
桑田:もちろんです。クラークスデイルのホテルやブルース・クラブではこんな会話を耳にしますよ。「クロスロードって、いったいどこにあるのですか?」。すると聞かれた人は、クラークスデイルの観光マップを指差しながらこう答えます。「この61号線と49号線の交差点、ギターのモニュメントが建っている場所です」。もう尋ねる方も答える方も伝説と真実の垣根がなくなっていますね。グリーンウッド観光局がオフィシャルに配布しているマップにも、クロスロードは★マーク付きで記されているし。ロバート・ジョンソンが悪魔と取引をした場所を、いったいいつ誰がこの場所だと特定したのでしょうかね。しかし実際にこのギターのモニュメントの建つ交差点に行って周辺を見渡すと、交差している61号線も49号線も道路幅の広い新道なんです。ロバート・ジョンソンが悪魔と取引をした1930年代中頃に、こんな立派な道路が開通しているわけがない。そこで旧知のクラークスデイル在住のブルース研究家に尋ねてみたのですが、「その通り。本当のクロスロードは旧道の61号線と49号線の交差点、つまり現在のタラハッシー通りとマーティン・ルーサー・キング通りの交差点だよ」。歌詞の中には場所を特定するような記述はないのに、彼のようなブルース研究家までもが真顔で「本当のクロスロードは……」となんて語るんですよ。ともかくクロスロード伝説については、ここまで丁寧に答えが用意されているんですね。
【後編に続きます】
小平尚典(Kohira Naonori) 写真家&メディアプロデュサー
1954年北九州市小倉北区生まれ。 1976年渡英し社会派写真家としてデビュー。 英国では毎週、ライブコンサートに明け暮れる。 1987年から2009年まで米国移住し西海岸のITリベラルアーツ写真家として活動する一方、アーティストのCDジャケットなどを担当する。 近年はライフワークとして「旅と音楽のアーカイブ」で新しい道を開拓している。著書(共著を含む) 『4/524』『This is Nomo』『TAHITI』(新潮社)『シリコンロード』『e-face』(ソフトバンクPB)『原爆の軌跡』『アトランタの案山子アラバマのワニ』(小学館)『彼はメンフィ スで生まれた』『そうだ高野山がある』『おやさと写真帖』ほか多数。
桑田英彦(Hidehiko Kuwata)
1957年岡山生まれ。音楽雑誌の編集を経て1983年渡米。4年間をロスアンゼルスで、2年間をニューヨークで過ごす。旅行会社に勤務し、様々なコーディネートや海外のミュージシャンたちのインタビューを数多く行う。帰国後、写真集、雑誌、米系航空会社機内誌、カード会員誌、企業PR誌などの海外取材を中心に編集・制作業務に携わる。著書は「ハワイアン・ミュージックの歩き方」(ダイヤモンドビッグ社)、「ミシシッピ・ブルース・トレイル」「英国ロックを歩く」「ワインで旅するカリフォルニア」「ワインで旅するイタリア」(スペースシャワーブックス)、「アメリカン・ミュージック・トレイル」(シンコーミュージック)など。