丹波康頼(たんばのやすより・912-995)は、平安時代の医者。丹波国(京都府)に生まれる。
祖先は渡来人ともいわれる。984年に医学書「医心法」を円融天皇(えんゆうてんのう)に献上し、その功によって朝廷より丹波宿禰(すくね)姓を賜(たまわ)った。
その子孫は代々、朝廷の官医の長官をつとめた。
日本最古の医学書「医心方」
丹波康頼が撰述した「医心法」は、現存する日本最古の医学書として知られている。
朝廷で長く秘蔵されていたが、江戸幕府によって内容が明らかにされ、広く知られるようになった。
「医心方」は中国の隋・唐時代に流布していた医書をおもに収載しており、不老長寿をめざす神仙思想の影響を見ることができる。
さまざまな薬草などの効用が説かれているが、たとえばクコの効用について紹介している部分では、クコをいつも服用しているという若い女性に年齢をたずねたところ373歳と答えたという。
また、髪の毛が生えてくるという薬の調合なども記されている。信憑性(しんぴょうせい)は別として、当時の健康法を知る貴重な資料である。
京都府亀岡市には、康頼が薬草園を営んだ地とされる医王谷(いおうだに)という地名が残り、医王谷の近くに鎮座する鍬山神社(くわやまじんじゃ・亀岡市上矢田町)は医療の神として知られている。
文/内田和浩