生産者から料理人まで飲食業界に大きな影響をもたらした漫画『美味しんぼ』。連載開始から今年で40年。原作の雁屋哲さんが厳選した、『サライ』10月号の別冊付録の作品に登場する京都の店を案内する。
すっぽん一筋340年。滋養溢れる「まる鍋」を満喫
大市(だいいち)|上京区下長者町通
創業は元禄年間(1688〜1704)。およそ340年の歴史を誇るすっぽん専門店『大市』。漫画『美味しんぼ』第106集では「偉大なる名人・名店」編の一店として描かれた。第106集の作中で若主人として登場した青山佳生さん(58歳)が、現在は、18代目主人として老舗の暖簾を守る。
創業時の造りが一部残る風情ある建物で味わえるのは、すっぽんを土鍋で炊いた「まる鍋」のみ。「鍋は宝」だと青山さんはいう。漫画の中で登場人物たちが驚嘆するとおり、『大市』の「まる鍋」は1600℃以上の火力で一気に炊き上げることで、すっぽんの身に旨味を封じ込める。土鍋はその火力に耐え得るものでなければならない。さらに、使うたびにすっぽんの旨みが鍋肌に染み込み、鍋からいい出汁が出る土鍋へと昇華してゆく。個々の鍋により仕上がりの味が変わるため、気に入りの鍋を指定する常連客もいるという。
「空襲のあった時代は従業員一同で貸金庫に鍋をしまいに行き、店が焼けても鍋さえあれば商売できると言っていたそうです。それほど土鍋は『大市』の味に欠かせない存在なのです」(青山さん)
伝統の味を次世代に繋ぐ
『大市』の宝でもある無骨な土鍋で炊かれるのは、最上質のすっぽん。100年以上続く静岡県浜名湖の養殖場で、自然の沼地に近い環境で育てられる。
「まる鍋」の味付けは醤油と酒のみ。出汁は使わない。野菜の類も一切入らない。
「なかには“野菜がなかったら鍋料理ではない”という方もいらっしゃいますが、これほどシンプルなつくり方で極めてくれた代々の味を守るのが私の責任です」と青山さんは言葉に熱をこめる。
煮えたぎる鍋から仲居さんがまずよそってくれるスープは臭みなど一切なく、濃厚かつ繊細な滋味深さ。そしてすっぽんの身は、引き締まった首肉、甲羅の周辺にあるゼラチン状のエンペラなど部位ごとに異なる味を堪能できるのもこの店ならでは。秘訣は捌き方にある。ぶつ切りではなく、部位の関節を的確に切り外しながら捌く一子相伝の手法で、今は息子の彰真さん(20歳)がその技を習得している。
「捌くのは僕より上手いかもしれません」と、青山さんは相好を崩す。『大市』の味は、着実に次世代へと繋がれている。
大市
京都市上京区下長者町通千本西入ル六番町371
電話:075・461・1775
営業時間:12時~12時30分、夜は二部制で17時~17時30分、19時~19時30分(すべて最終入店)
定休日:火曜(変更あり) 個室7、要予約。コース2万6000円。
交通:京都市営バス千本出水バス停から徒歩約2分
雁屋哲さんの推薦状
創業以来340年、すっぽん一筋の名店である。1974年に私は美味しい物の食べ歩きを始めたが、その最初の店がこの『大市』だった。鍋の底が溶けるほどの高温で調理する「まる鍋」の味は、比べるもののない味だ。
漫画『美味しんぼ』とは
東西新聞社の記者である山岡士郎と栗田ゆう子が取り組む「究極のメニュー」と、山岡の父であり陶芸家の美食家、海原雄山が考案する「至高のメニュー」の対決が繰り広げられる食漫画。食材から調理法まで最高品質を追求する一方、山岡らが食を通して周囲の人々の悩みを解決してゆく人情物語でもある。
※この記事は『サライ』本誌2023年10月号より転載しました。