文/印南敦史

スペインのクラシック・ギタリスト、パブロ・サインス・ビジェガスの新作『The Blue Album』を聴いたことに、さしたる理由はなかった。前作が好きでよく聴いたことを覚えているので、「新作が出たなら、また聴いてみよう」と思った、それだけの話だ。

だが結果からいえば、それは素晴らしい作品で、予想以上の満足感を与えてくれた。そのため、曲が進んでいくごとに「次はどんな曲だろう?」と期待感が高まっていったのだが、14曲目が聞こえてきたとき、そうした思いが頂点に達したような気がした。

エリック・サティやフィリップ・グラスなどの楽曲を取り上げたこのアルバムのラストにビジェガスは、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を選んでいたのである。

世界的に知られるこの曲を取り上げること自体は、特段珍しいことではないだろう。事実、過去にもこの曲の優れたカヴァーは少なくない。が、クラシック・ギターによる彼のリメイクは、楽曲そのものの質の高さをはっきりと浮き上がらせているように感じたのだ。

だから、じっくり聴き入ってしまった。そしていつしか、少し前に読んだ『坂本龍一 音楽の歴史』(吉村栄一 著、小学館)という書籍のことを思い出していた。

長年にわたって坂本龍一を取材してきたライターが、取材で得た本人のことばを交えつつ、バイオグラフィーをていねいにまとめたものである。有名なエピソードのみならず、「そんなことがあったのか」と驚かされるような話も少なくないだけに、とても興味深く感じていた。

当然ながらそこには、「戦場のメリークリスマス」についての記述もあった。

坂本龍一にとって、この『戦場のメリークリスマス』という作品が映画音楽との最初のかかわりであったことは幸運だろう。大島渚はいくつかの点で確認を済ませると、あとはほぼすべてを坂本龍一にまかせた。坂本龍一はのびのびと自由に作曲、録音をした。演奏のほぼすべてはシンセサイザーとサンプラー。メジャーな映画音楽でシンセサイザーとサンプラーのみを使用するというのは、世界的に見ても新しい試みだ。(本書153ページより)

この文章は、「坂本龍一にとってはあくまで日常的に使用している楽器を使ったまでだったのだろうが〜」と続いていくのだが、改めて読み返してみた結果、2023年1月17日にリリースされた21枚目のアルバム『12』のことを思い出した。

オリジナル・アルバムとしては最終作にあたるこの作品について坂本は、「折々に、何とはなしにシンセサイザーやピアノの鍵盤に触れ、日記を書くようにスケッチを録音していった」と記していたからだ。

当然ながら、彼にとってそれはいたって自然なことだったのだろう。

しかしそれでも、「シンセサイザーを日常的に」使っているという表現が、『戦場のメリークリスマス』から『12』へと続いてきた彼の歩んできた道筋をよりくっきりと際立たせているように思えたのだ。

もしかしたら、考えすぎにすぎないのかもしれないが。

これまでのソロ・アルバムやYMOの作品同様にシンセサイザーとサンプラーをメインの楽器として使用したこのサントラは坂本龍一のソロ作品と表現してもおかしくない内容だった。(本書155ページより)

残念ながら、カンヌ国際映画祭への出品では無冠に終わったものの、落選に至る過程が連日報道されたこともあり、映画『戦場のメリークリスマス』は空前のヒットとなった。そして、映画にも出演した坂本の手がけたそのサウンドトラック・アルバムも、世界各国で発売されて大きな話題を呼んだ。

この年の英国アカデミー賞では『戦場のメリークリスマス』は作曲賞も受賞。この賞はジョン・ウィリアムズやエンニオ・モリコーネなどが受賞の常連になっているもので、坂本龍一はアジア人として初めての受賞。海外の賞をもらったのもこれが初であった。
また、映画のヒット中の六月には『戦場のメリークリスマス』のサントラ曲をピアノで演奏したカセット・テープが付属したカセット・ブック『Avec Piano』が発売。(本書157ページより)

もちろんこれは、坂本が残したさまざまな実績の一部を切り取ったものにすぎない。しかし、『戦場のメリークリスマス』という映画から生まれた同名曲が、いまなお世界的に支持されている理由は、ここからはっきりとわかるのではないだろうか?

だからこそ私は、この曲が生まれた1983年にはまだ6歳だったパブロ・サインス・ビジェガスが、40年を経たいまになってこれを取り上げたことにも妙に納得させられてしまうのである。

『坂本龍一 音楽の歴史』
吉村栄一 著
小学館

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文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( ‎PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

 

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