歌舞伎で江戸の庶民の生活を写実的に描いた狂言を「生世話物(きぜわもの)」という。ならば、狂言は室町時代を生きた人々の姿や生活の匂いを如実に伝える「中世の生世話物」と言って良いかもしれない。
なかでも、様々な職人や商人が登場する曲目では、扮装(ふんそう)や台詞、仕種に独特の風情があり、興味をひかれる。
例えば、『煎物(せんじもの)』という狂言。祇園会(ぎおんえ=祇園祭)の「はやしもの」の稽古をするために集まった男たちの前に、煎物を売る男(シテ=主役)が現れて、皆に煎物を勧める。男たちに邪魔だと言われても怯(ひる)むことなく、囃子に乗って煎物を売り続けるのだ。
男の台詞に、「陳皮(ちんぴ)、乾薑(かんきょう)、甘草(かんぞう)も加えて煎じたる……」とあるように、煎物売は、漢方薬を煎じた飲み物を売り歩く商人。荷い茶屋(にないぢゃや)という移動式の喫茶道具を肩に担いで、人の集まるところに現われて商売をしていたようだ。
中世の様々な職人を記した「職人尽歌合(しょくにんずくしうたあわせ)」に描かれた煎物売の荷い茶屋には、茶釜、釜をかけて湯を沸かす風炉(ふろ)、水を入れていると思われる桶(おけ)も見える。
冒頭の絵にえがかれた煎物売は、菅笠(すげがさ)と布で顔を覆(おお)っているが、かつては僧侶姿で、薬効あらたかな趣を漂わせていたといい、狂言でもシテは、やはり角頭巾(かくずきん)を被(かぶ)った僧の姿だ。
「煎じたてせんじ物、おせんじもの煎じ物めせ、鷺(さぎ)の橋を渡ったかささぎの……」という売り声は、まさに中世の音。現代人の心の奥底に懐かしさを掻き立てる響きである。
写真・文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。
※本記事は「まいにちサライ」2013年9月4日掲載分を転載したものです。