鴨川に近い叡山電鉄の始発駅、出町柳駅を出た1両のワンマン電車は宝ヶ池駅から鞍馬線と分かれて進路を東向きに変える。すると目前に比叡山が現れる。電車はそこに向かって、緩やかな勾配を登っていく。
終着駅の八瀬比叡山口駅は、まさに平地が尽きて、そこからは急斜面の山腹が始まるところにある。
電車は細い鉄骨で組まれた古い大屋根の中に停車する。屋根は1番・2番線に降車用の3本のホームを覆っているが、奥行きは車両1両の半分しかなく、電車が半分外に出てしまうほどのサイズだ。
駅舎はその脇に玄関を構えている。ターミナルでありながらコンパクト、この駅をそのまま鉄道のジオラマにしたくなるような風景だ。
駅ができたのは、今から91年前の大正14年(1925)。当時は京都電燈という琵琶湖疏水を使った日本初の水力発電会社の鉄道事業として開業した。その頃の発電会社は、電車を走らせることで電力の需要を自ら作り出していたのだ。
またこの叡山線は比叡山に登る叡山ケーブル(京福電気鉄道鋼索線)と同時に開業しており、昭和3年(1928)には比叡山山頂へ直結する叡山ロープウェイも開通している。すでに昭和初期には標高800mを超す比叡山山頂まで普段着で行ける観光ルートが完成していたのだ。
八瀬比叡山口はまさに比叡山観光の玄関口として開業し、戦時中は大屋根の駅舎は軍需工場に接収され、電車は仮ホームに発着していたという歴史も伝わっている。また戦後の昭和39年(1964)には駅の近くに家族向けの八瀬遊園地も開園し、駅名も「八瀬遊園」に改称された。
昭和58年(1983)には遊園地も閉園したが、駅名は残り、平成14年(2002)になって現在の「八瀬比叡山口」駅となった。
昨年の90周年を記念して、駅舎の玄関に掲げられた駅名看板も開業時の「八瀬驛」に変えられ、全体に化粧直しされたが軒下の木製の飾り板や、おびただしいリベットが打ち込まれた鉄骨は健在。この駅舎をバックに撮影する観光客も多い。
駅前の道も狭く、やってくるクルマも四苦八苦してUターンしていく。駅舎のすぐ前には大原から流れる八瀬川の清流になっていて、今回訪ねた時は河原のバーベキューで駅構内が煙たくなっていた。週末など多客時に配置される駅員によると「本当は禁止なんですけど」と苦笑する。
それでも11月になると駅前から比叡ケーブル駅までの小道が紅葉に彩られ、あちこちに茶店も開店する。そんな八瀬比叡山口駅を中心に、クルマ社会になる前の、よき時代の観光地が残っていた。
【叡山電鉄本線 八瀬比叡山口駅】
■ ホーム3面2線の頭端駅
■所在地:京都府京都市左京区八瀬野瀬町113
■開業年月日:1925年(大正14)9月27日
■アクセス:叡山電鉄出町柳駅から14分
写真・文/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。