稀代の能役者であるとともに、能の作者でもあった世阿弥(ぜあみ)。その作品の舞台となった地を歴訪すると、幾百年の星霜を経てなお、物語の余韻が残っている。世阿弥が生んだ能の名作ゆかりの地を訪ねる「世阿弥紀行」、第1回は「高砂の浦」をご紹介する。
披露宴の席上(あるいは時代劇の結婚の場面)でよく謡われる『高砂(たかさご)』は、数ある能の中でも最も知名度の高い曲であろう。「四海波(しかいなみ)静かにて」「高砂やこの浦舟に帆をあげて」などの有名な一節を諳んじている方もいることだろう。
曲は、播州高砂の浦を訪れた阿蘇の神主が、松の木陰を掃く姥と老翁(尉)に出会うところから始まる。そしてその老夫婦が、常緑の松の素晴らしさと夫婦の長寿を寿いでいく。
舞台となる高砂の浦は、兵庫県高砂市、加古川の河口にある。世阿弥は、この地の旧跡、伝承を元に『高砂』を書いたとされている。
現在は重化学工業地帯で重機の音が絶えない場所になっているが、高砂海浜公園を訪れると砂浜に松が植えられ、能の世界をたどる縁となっている。
【高砂海浜公園】
兵庫県高砂市高砂町向島町
山陽電鉄本線 高砂駅から徒歩30分
公園の近くには高砂神社があり、境内には『高砂』に登場する老翁(尉)と老婆(姥)とを祀った尉姥神社も鎮座している。
さらに境内には、一本の根から雌雄の幹に分かれた「相生の松」(あいおいのまつ)がある。現在の松は五代目になるという。
また、阿蘇の神主・友成が旅中の杖木を地面につき刺したところ芽吹き、成長したと伝わる「御神木いぶき」もあり、樹齢千年を超える姿が神威を放っている。
【高砂神社】
兵庫県高砂市東宮町190
山陽電鉄本線 高砂駅から徒歩15分
高砂神社公式サイト
一方、『高砂』の詞章に登場する「尾上の鐘」「尾上の松」があるのは、川を越えた加古川市にある尾上神社だ。神功皇后の三韓征伐の帰路に、この地で雨が降り続き、斎戒沐浴し晴れを祈り鎮祭したという由緒がある。
尾上神社の門前には「高砂うたひの名所」の碑があり、境内には七代目となる「尾上の松」が大切に祀られている。
【尾上神社】
兵庫県加古川市尾上町長田字尾上林518
山陽電鉄本線 尾上の松駅から徒歩15分
尾上神社公式サイト
詞章では、老婆(姥)は高砂の松の精=高砂神社の神であり、老爺(尉)は住吉の松の精=住吉明神であって、両神は所を隔てて長年連れそう「相生の松」であると謡われる。
『高砂』の曲名は、元来『相生』といった。その主題は、夫婦とも長寿で連れ添う事の目出度さとされてきた。しかし、能楽研究者の天野文雄氏は、この能の主題は、和歌の素晴らしさを説き、和歌が栄える泰平の世を讃えることだという。住吉明神は和歌の神でもあり、世阿弥が当時の治世者の素晴らしさを賛美するために『高砂』を書いたという新視点を提起している。
高砂神社には能舞台がある。江戸期以来のものだったが、老朽化が進んでいたために、神社氏子およびこの神社や伝承に心を寄せる人々の志で2013年に再建された。この秋も、高砂観月能が催され、舞囃子『高砂』も上演されるという。御当地で見る能の興趣、目出度さは格別だろう。
【第二十回 高砂観月能(高砂神社能舞台−神遊殿−)】
■日時:平成28年10月22日(土)、17時30分開演。
■演目:第一部「高砂大合唱」「解説(本日の見どころ)」、第二部『舞囃子 高砂』(シテ 上野朝義)、「火入れ神事」、『神歌』(シテ 小寺一郎・ツレ久保田稔)、狂言『口真似』(シテ 茂山七五三)、能『鞍馬天狗』(シテ 野村四郎)。
■料金:指定席4000円、自由席2500円、当日自由席3000円
■問い合わせ:079-442-0160(高砂神社社務所)
イベント公式サイト
写真・文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。