取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「父親の偏った考え方がどうしても好きになれなかった。でも、一番辛い時に精神的にも物理的にも救ってくれたのは父でした」と語るのは、公子さん(仮名・38歳)。彼女は現在、都内にある企業でデザイナーをしています。ナチュラルな黒髪は丸いシルエットで整えられており、化粧気はないものの目鼻立ちはハッキリとした顔立ちにショートカットが良く似合っています。ボーダーのロングTシャツにデニムを合わせており、カジュアルな服装から実年齢より若く見えます。
ほんわかした母に、しっかり者の父。不満を感じたことなんて一度もなかった
公子さんは東京都の23区の出身で、両親と3歳上の姉がいる4人家族。父親は公務員で税務署や地域振興課などで勤めており、母親は公子さんが中学生の頃までは病院の受付の仕事をしていたと言います。
「小さい頃から家族仲も、姉妹仲も悪いと思ったことは一度もありません。母親はどちらかというとほんわかしているお嬢さん育ちでちょっと頼りないと感じることはあったけど、その分を父親がしっかりとカバーしてくれている感じで。勉強も父親は質問したことにはちゃんと教えてくれていましたから」
公子さんの反抗期は小学校4年生の時とやや早く、イライラの矛先は家族ではなく担任の先生だったそう。それも数年で落ち着き、中学時代も真面目だったとか。高校は都立に進学。高校時代は都会出身者ならではの趣味にハマったと語ります。
「関東ローカルに出ていた芸人さんにハマってしまったんです。その人が出ている番組が毎週生放送をしていて、観覧希望のハガキを出して当選したことがきっかけで毎日放課後は劇場に足を運んでいました。一度観覧に行くと、その場で次の日の番組の観覧に応募できたんですよ。高校時代はほぼその人の追っかけをしていたので、男の子と付き合ったりとかは全くなかったですね」
生放送が行われていた時間帯は夕方。その時間に劇場がある渋谷に毎日足を運ぶ娘を両親は知っていたものの、特にその行動を反対はしなかったそう。しかし、深夜までの出待ちを行うようになった時にはさすがに父親から大目玉を食らったと言います。
「高校生が0時を回ってから帰宅していたんですから怒られても仕方ないですよね。今ならそう思うんですが、当時は自由にできないことに少しストレスは感じていました。友達の家に泊まることは認められていたので、出待ちをしたい時は友人の家に泊まると嘘をついていたこともありました」
父がこだわったのは正社員というちゃんとした肩書。初めての仕事も心から認めてはくれていなかった
高校卒業後の進路は服飾系の専門学校へ。服飾の道を目指したきっかけは母親からの助言でした。進路については父親もあっさり専門学校への進学を認めてくれます。
「昔から服を作ったり、オシャレが好きでした。その姿を見ていた母が服飾の道が向いていると勧めてくれたんです。実は父が有名大学の出身で堅い仕事をしていることもあって、絶対に専門学校への進学を反対されると思っていたんです。でも本当にまったく反対されませんでした。私もまったく何も疑問に思わずに、迷うことなく専門学校へ進学しましたね。今振り返ると、『専門分野だけの狭き道になると就職で苦労することがある』とか、アドバイスが欲しかったなって思ってしまうほどです(苦笑)」
専門学校ではスタイリスト科に入り、初めての彼氏もできたそう。卒業後は金銭的な理由でアルバイトを掛け持ちながらも、スタイリストのアシスタントの仕事に就くことができます。しかし、憧れた道だったはずなのに半年で退職。その後はアルバイトを続け、アルバイトから社員に昇格した時にやっと両親は安心した顔を見せてくれたと言います。
「スタイリストの仕事は学校の先生のコネで入れたところで、私の好きな服のジャンルじゃなかったんですが、最初は頑張ろうと思っていたんです。でも、アシスタントってまったく給料がもらえなくて、しかもあまりアルバイトに入れないほど毎日が激務で……。好きな服だったらもう少し頑張れたかもしれませんが、挫折してしまいました。安月給で毎日遅くに帰宅する娘に向かって父親は『お前が今やっているのは人のやる仕事じゃない』って暴言を浴びせられたことを覚えています。なんて世間知らずなんだとムカついた記憶も残っています。
仕事を辞めてからは服の販売員のアルバイトを続けていて、2店目に働いたところでアルバイトから正社員になることができました。父親は会社の保険に私が加入できたことで安心していました。その時に本当に上辺だけしか見えてないんだなって思いました」
軽蔑していた父の一辺倒な考え方。しかし、離婚問題を解決に導いてくれたのは父親の生きてきた道だった。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。