「自ら熱望して撮ったのが『海街diary』です」
数々の国際的な映画祭で、常に高い評価を得てきた是枝裕和監督作品。その原点は、月賦で買ったビデオカメラで撮った、自主制作の1本のテレビドキュメンタリーにあった。
←これえだ・ひろかず 昭和37年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。ドキュメンタリー番組を手がける。主なテレビ作品に『しかし…』(ギャラクシー賞優秀作品賞)など。『幻の光』で映画監督デビュー。『誰も知らない』『奇跡』『そして父になる』などで国際的に高く評価される。
6月13日、是枝裕和監督の最新作『海街diary』が公開される。第68回カンヌ国際映画祭の最高賞“パルムドール”を競うコンペティション部門に出品された作品だ。原作は吉田秋生の同名漫画。
「第1巻を読んで魅了され、自ら“センタク”して映画化した作品です。等身大の人間が暮らすありふれた世界が、ふと美しく見える瞬間を描きたいと思いました」
最初から映画監督を志したわけではない。小説家になりたくて早稲田大学の文学部に入学するが、すぐに挫折。大学には行かないで、映画ばかり観ていた。その頃はまた、テレビの連続ドラマ全盛時代。刊行され始めたシナリオ全集を読んで、小説家より脚本家を選ぶ。日常の細部を丁寧に見つめる倉本聰や山田太一、向田邦子らの目から多くのことを学んだ。
大学卒業後、制作会社『テレビマンユニオン』に参加。アシスタント・ディレクターから出発したが、待っていたのは現場では何の役にも立たないという屈辱感――。そんな時、以前テレビで観た長野の伊那小学校で飼っている牛を取り上げたシリーズを思い出す。あの続編を撮ろう。
「選んだのは自主制作の道です。45万円のビデオカメラを2年月賦で買って、仕事が終わってから各駅停車の夜行列車に乗って3年間、伊那に通いました」
放映予定はない。が、深夜のドキュメンタリー枠で日の目を見る。「背水の陣で臨めば、手を差し伸べてくれる人はいる。それが、その時のプロデューサーや伊那小学校の先生や親、子供たちでした」
是枝映画はドキュメンタリー的だ。どこからが演技なのか判らないほど自然な子供たちが登場する。その原点は、伊那に通った3年間にあるのだろう。
今、制作の重心は映画に移ったが、自身は“テレビ人”だと明言する。テレビで育ち、テレビに育ててもらったから今があるという。
←『もう一つの教育』(ATP賞優秀賞)というテレビ作品になった伊那小学校春組の子供たちと。昭和63年頃。
←『海街diary』で異母妹すず役の広瀬すずさんと。広瀬さんの負い目をわきまえた演技が印象に残る。
←平成16年、カンヌ国際映画祭で『誰も知らない』の出演者と一緒に。主演の柳楽優弥さん(左)が、史上最年少の最優秀男優賞を受賞。
●『海街diary』の撮影秘話や是枝監督ならではの演出法など、ここでは書ききれない興味深い話は「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。
ワタシの、センタク。
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