文・絵/牧野良幸
成瀬巳喜男(なるせ・みきお)監督の映画といえば、平凡な夫婦や家族を描いた内容が多いので、自然と似たような映画が多くなる。しかし、この『鶴八鶴次郎』は異色である。平凡な人間ではなく、芸人を描いたところが異色なら、内容がストレートに描かれているのも異色。
制作は1938年、戦前の映画である。しかし戦意高揚の影はいっさいない。『鶴八鶴次郎』はいつの時代にもありうる、男と女の物語である。
鶴八(山田五十鈴)と鶴次郎(長谷川一夫)は幼い頃から一緒に舞台に上がっていた芸人同士。普段は付き人の佐平(藤原釜足)もびっくりするほど仲がいいのだが、喧嘩も派手にやる。お互いに相手が好きなのに一旦喧嘩となると頑固で強情なのだ。
現在の言葉なら、普段はツンツンしているのに、本心はデレデレと仲良くしたいと思っている「ツンデレ」の間柄と言えなくもない。
しかし僕らがツンデレと呼ぶほど、鶴八と鶴次郎は軟弱ではない。二人はプロフェッショナルな芸人だ。だから一旦喧嘩となるとやり方もプロフェッショナルである。
鶴次郎が「あそこが良くなった」と鶴八の三味線に文句を言えば、鶴八も「あのやり方でいいんですよ」と自分の言を曲げない。しまいには女だてらに「ちょっと褒められたからって、名人ずらすんない!」とやり返すありさま。芸はプロフェッショナルでも相手への思いやりとなると、まるで小学生の域を出ない二人であった。
しかし二人の喧嘩のシーンを見ていると、なぜかスカッとするのである。才ある芸人のプライドがぶつかり合っている喧嘩だから気持ちがいいのかもしれない。もちろん「二人とも子どもだなあ」と思う喧嘩もあるが、どちらにしろ成瀬映画にしては直球の演出をしているから気持ちがいい。
直球と言えば、鶴次郎役の長谷川一夫の演技も直球だ。男っぷりがいい。強がりながらも、実は鶴八にヤキモキしている表情も上手い。
鶴次郎に比べると鶴八のほうはまだ落ち着いている。いつの時代も女のほうが大人であるということか。とは言え、微妙な女心をふっと見せたときの鶴八の輝くこと。こちらも山田五十鈴が名演技だ。
こんな二人がついに芸人として最高の舞台、名人会に出演する。
最後の喧嘩別れのあと、鶴八は他の男に嫁いだので、この時だけのコンビ結成だった。しかし芸人の血が蘇った鶴八は、舞台のあと、家族を捨てても鶴次郎と芸の道を行くと告げる。
だが鶴八と別れてから芸人の辛苦を嫌というほど味わった鶴次郎は、鶴八を再びこの道に入れたくない。かくして鶴次郎は、鶴八にわざと最後の大喧嘩をふっかけるのであった。悪者役に耐える鶴次郎が泣かせる。
そんな鶴次郎の思いを知るのは付き人の佐平のみ。鶴次郎は鶴八を失った悲しみを忘れるため二人で酒を酌み交わす。
このラストシーンを観るたびに、もうひとり真実を知っている僕も、鶴次郎の横に座って「今夜は付き合うよ」と言ってやりたくなるのである。
【今日の面白すぎる日本映画】
『鶴八鶴次郎』
■製作年:1938年
■製作・配給:東宝
■モノクロ/89分
■キャスト/長谷川一夫、山田五十鈴、藤原釜足
■スタッフ/監督・脚本:成瀬巳喜男、原作:川口松太郎、音楽:飯田信夫
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp