物語は、心に蒔かれた種である。幼いある日に読んだ漫画の小さなフレーズが思いもかけずに蘇ってくることがある。生きてきた道を振り返ると、いくつもの岐路で物語の断片たちは、標となり灯火となって私たちを導いてきた。人生を変えた名作漫画に、再び出会う。

島田雅彦(しまだ・まさひこ/作家)さん
1961年生まれ。法政大学国際文化学部教授。読売文学賞など受賞。近著に『大転生時代』『時々、慈父になる。』『散歩哲学』など。漫画原作も手がける。

「漫画の中に閉じ込められた時代の空気を味わうのは、大人の特権です」

作家の島田雅彦さんは、「漫画を読むことは、大人の特権だ」と断言する。

「歴史というものは、何年にこんな出来事があったと記述に落とし込んでしまうと、実際にそこにあった感覚や感情、社会の雰囲気といったものが脱臭されてしまうんですね。漫画には、その時代の空気が閉じ込められている、いわば一線級の歴史資料です。ですので、あの時代を体験してきた大人が、例えば手塚治虫や藤子・F・不二雄などを読むと、その時代に確かにあった感情や感覚まで、再体験できるのです。この贅沢を大人の特権と言わずして、なんと言いましょう」

現在は、漫画のジャンルも手法も出尽くした感があるが、今の50代〜70代が生きてきた時間は、漫画の発展史とも重なる。

「例えば、石ノ森章太郎の『サイボーグ009(ゼロゼロナイン)』。これなんて今の戦隊ヒーロー物の原型です」

李白や杜甫に通じるつげ義春

戦後の物資不足の時代、いち早く出版されたものは漫画だった。

「敗戦という民族滅亡の危機に瀕し、真っ先に働く本能は子孫を残すことですから。漫画も同様にエロスを追求していきます。そして赤塚不二夫に代表されるナンセンス、そしてグロテスク。エロ・グロ・ナンセンスの三位一体で漫画は発展してきました」

やがて少女漫画や青年漫画などの多種多様なジャンルも生まれ、同時に、表現内容や表現手法も拡張していった。「従来の子ども向け漫画の枠をはみ出し、進化していった」と島田さんは評価する。

「中でも注目したいジャンルは、私小説漫画です。文学少年だった私は、つげ義春を初めて読んだとき、“日本文学の王道の私小説が漫画になった”と強く確信しました。漢詩の中でも日本人は李白や杜甫を好みますが、こうした本流から逸れて風流に生きる姿を、つげ義春の中に見出すことも可能でしょう。実は子どもの頃、多摩川の近くに住んでいましたので、河原で石を拾い集めていたというつげ義春本人とすれ違っているかもしれませんね」

『サイボーグ009』 石ノ森章太郎著 

「009たちがサイボーグに改造されるシーンに、少年ながら一種のマゾヒズムのようなものを感じていました」と島田さん。1964年『週刊少年キング』で連載開始。その後、複数の雑誌で連載された。(C)石森プロ
秋田書店 990円

『有閑倶楽部』 一条ゆかり著 

島田さんいわく「中毒性のあるエンターテインメント作品」。1981年の連載開始以来、『りぼん』で20年にわたって発表された少女漫画。幼小中高大一貫制の名門で、御曹司たちがいろいろなドラマを繰り広げる。(C)一条ゆかり/集英社  集英社文庫(電話:03・3230・6080)880円

『デカスロン』山田芳裕著 

著者は『へうげもの』の山田芳裕。「躍動感あふれる画風はさすが。山田作品はほぼ全部読んでいる」と島田さん。1992〜99年まで『週刊ヤングサンデー』で連載された、陸上・十種競技をテーマにしたスポーツ漫画。
小学館(電話:03・3230・5749)500円 ※品切れ

『菊坂ホテル』 上村一夫著 

大正時代、画家・竹久夢二が恋人と暮らした本郷の菊富士ホテルをモデルに、ホテルに集う文士や画家の人間模様を描く群像劇。月刊小説誌『小説王』に1983〜84年に連載。「上村さんの描く女性は妖艶」と島田さん。
朝日新聞出版(電話:03・5540・7793)2090円 ※品切れ

『無能の人・日の戯れ』つげ義春著 

表題作『無能の人』シリーズは、季刊漫画誌『COMICばく』に掲載された(1985〜86年)、つげ義春の代表作。「野(や)に下って風流を追求する。西行にも通じる、無常感と清貧がここに描かれています」(島田さん)
新潮文庫(電話:03・3266・5111)935円

サライ1月号大特集は『サライの(新)漫画論』
特別付録『ノリタケ製 2026ドラえもん ミニ・イヤープレート』

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2026年
5月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

小学館百貨店Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア

市毛良枝『百歳の景色見たいと母は言い』

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店