取材・文/坂口鈴香

観測史上最高記録が次々と塗り替えられた夏だった。都内の事業所で働くケアマネジャーは、この夏はずっと体調が悪かったと嘆く。担当の高齢者や家族に、熱中症に気をつけるように声をかけながらも、自分自身がその一歩手前にあるようだったと振り返る。
ヘルパーも同様だ。利用者の自宅を訪問すると、エアコンの風が苦手だからという理由でエアコンを切っていたり、スイッチを入れても切ってしまったりすることも少なくない。そんな中で介護サービスをするのだから大変だ。ましてやそのヘルパーも多くが高齢なのだ。秋になって、ケアマネジャーもヘルパーも「何とか生き延びた」と安堵している。
【前編はこちら】
エアコンのリモコン操作ができなくなった母
上岡雅美さん(仮名・58)には、離れて暮らす認知症の母親がいる。日中はデイサービスに行っていることが多いが、帰宅後の様子を確認するため見守りカメラを設置している。
「エアコンを入れるようにと口を酸っぱくして言っているので、母もエアコンを入れようとはするのですが、リモコンの操作が難しくなっているようです。どれがエアコンのリモコンなのかわからなくなることもしばしば。テレビや電灯のリモコンで、エアコンのスイッチを入れようとしていることもよくあります。カメラでは埒が明かないので、結局電話をかけて『そのリモコンじゃないよ。その右にある方』などと指示をしていたのですが、あまりに手間がかかるので、私が遠隔で母の家のエアコンを操作できるようにしました」
スマートハウスは、認知症の親を持つ子どもにはありがたい技術だ。
農作業は命がけ
山間の街で暮らす北川茂さん(仮名・69)は、果樹を中心に栽培している。数年前から、農作業中に熱中症で倒れている高齢者を発見して、救急車を呼ぶことが増えたという。
「高齢化が進む地区なので、一番若手の私が通報者になることが多いのですが、携帯の電波が入りにくい場所も多いので、私も命がけです。自分が倒れたら、誰にも気づいてもらえないだろうと思います。さらに近年は、熱中症だけでなくクマも怖いのです。こちらは対処法がないのが困るところ。もはや運ですね」
高齢者といっても、昔から農作業で鍛えてきた人たちだ。以前なら多少の炎天下でも何ごともなく農作業できていたのが、この気候変動下ではそれも通用しなくなってきている。
「畑で死にたい」が口癖だった父。その最期とは
遠山文代さん(仮名・62)はこの夏、88歳の父親を亡くした。
認知症で10年近く施設に入っていた母親が亡くなったのは去年のこと。もちろん悲しみはあったが、覚悟はしていたので大きなショックは受けなかったという。その母親の初盆を終え、遠山さんは実家から自宅に戻った。翌日の夜、兄からの電話で父の急死を知った。
「父が畑で亡くなっていたと告げられました。仕事に行っていた兄夫婦が帰宅しても父が戻らない。さすがに遅すぎると思い、何か所かある田畑を探しに行ったら、父が倒れていたそうです」
検死の結果、熱中症だったことが判明した。
父親は高校を出ると実家の農業を継ぎ、以来70年、盆と正月以外は田畑に出ない日はなかった。母親が施設に入って以降は、寂しさを埋めるようにますます田畑にいる時間が長くなっていたという。
「父も物忘れがひどくなっていて、同じ苗を何度も注文したり、農機具の操作が怪しくなったりしていました。畑に行くのも軽トラを運転していくので、運転免許を返納して農業も辞めるように言う兄とケンカになっていました。それでも、父から農業を取り上げたら生きがいがなくなってしまう。私は父が農業を続けることを応援していたんです」
父親は「死ぬまで田んぼに行く」「畑で死ねたら本望だ」と口癖のように言っていた。だから、望みどおりの見事な最期だったとは思う。介護が必要になったり、病気で弱っていったりする姿を見なくて済んだのはよかったとも思う。
それでも、母親のときのように覚悟があったわけではないので、喪失感が大きい。もう父の作ったものを食べることはできない。兄はサラリーマンだ。今後田畑をどうするつもりかはわからない。遠山さんは親の土地や農地は一切相続しなかったので、兄に意見を言うこともないだろう。
父親が作った最後の作物は米だった。父親の米は、この夏の暑さにも負けなかったようだ。今年の新米は、飛び切りおいしかった。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。










