
ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)では、松前藩の領地を上知(あげち)させるべく、松前藩のあら捜しをしている展開が続いています。
編集者A(以下A):ご法度である「抜け荷=密貿易」の証拠をつかもうと、なんと花魁の誰袖(演・福原遥)まで「動員」されているわけです。松前道廣(演・えなりかずき)が家臣の妻を的にして銃を放った際にも一橋治済(演・生田斗真)は同席していましたから、松前家と一橋家は入魂の関係にあるという設定になっています。
I:本来であれば、あのような無体なことをする藩主は、それだけで改易となってもおかしくないのですが、御三卿の一橋治済と昵懇であるという設定なので「お咎めなし」ということなのでしょうか。
A:そうした中で、一橋治済がムックリというアイヌの楽器を演奏する場面が登場しているわけです。以前、北海道白老町の国立アイヌ民族博物館(2020年からウポポイ=民族共生象徴空間)に行った際に、購入したことがあります。竹などでできた楽器を口に咥え、弦を指に引っ掛けて弾きびよんびよんと音を立てて演奏する「口琴」の一種ですが、動物の鳴き声や風の音など、自然界の音や、自分の感情を表現するそうです。不思議な響きで、どこか切ない感じもします。劇中では何度か蝦夷錦も映されていますが、蝦夷錦こそ松前藩の対外交易の産物。中国から輸入した豪華な織の服などですが、「蝦夷錦」と称しているように松前藩の地場産業という建前なわけです。
I:なかなかに複雑な関係が描かれているわけですね。
A:北方史はアイヌが文字を持たない民族ということで文字による史料が残されていません。松前藩側についても『新羅之記録』という官製史料があるだけで、その全貌は謎に包まれています。
I:謎は謎なのでしょうが。私は松前氏のことはよく知りませんでした。ですから、正直何がどうなっているの? という感じでいます。
A:蝦夷(現在の北海道)の南端・松前に城下町を持つ松前藩ですが、もともと津軽十三湊を拠点にして、一時はアムール川流域までという広範な交易をしていた安藤一族をルーツとしています。具体的にいえば、安藤一族は蝦夷南部に「十二館=拠点」を設けて支配していました。そのうちの花沢館をおさめていた蠣崎氏が武田信広を婿入りさせて安藤氏から独立したのが「松前氏」。安藤氏は「秋田」と改姓して、陸奥三春(福島県三春町)に転封させられたので、松前氏が実質的に安藤氏の衣鉢を継いだ形になります。

「貞、騙されないで!」という見方

I:忘八、忘八といわれますが、改めてどんなことなのかおさらいしたいと思います。忘八とは、人が本来持っている8つの徳目(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 )を全部失っているということです。ざっくりいうと「人として最低」といっているようなものですよね。
A:確かにそうなのですが、その一方で蔦重(演・横浜流星)のように親から見放された子供を育てていっぱしの人間に成長させるということもやっている。もちろん労働はさせていたでしょうが。
I:当欄ではこれまで幾度か指摘していますが、忘八の親父たちに育てられた蔦重も知らず知らずのうちに忘八の思考がしみついているのではないかと指摘してきました。視聴者の方々は、今週、丸屋の貞(演・橋本愛)に蔦重が提案した、「いっそ一緒になっちまったら」という申し込みをどのように受け止めたでしょうか。私は、日本橋に店を出店するためには手段を選ばない「忘八的思考」なの? と思いました。「貞、騙されないで!」って叫びそうになりました。
A:しかし、市中の人々が吉原を忌避する態度はひどいですね。ここで日本橋の顔役みたいな顔をしている鶴屋(演・風間俊介)はもともと京都の版元で、昔から日本橋にいたわけでもないんですけどね。
I:確かに、ちょっと前の時代に一世を風靡した井原西鶴や近松門左衛門なんかはみんな上方ですもんね。
A:江戸は第5代将軍綱吉の時代くらいまでは、戦国の気風が少し残っていたといいます。綱吉以降、そうした気風もなくなって、「文化」が受け入れられたという流れになるのでしょうか。同じように、戦後も昭和50年代までは、軍隊経験のある方が役員に残っていたり、学校現場でも現役だったりで、そうした人たちが退職・退場した後に空気が変わったといいます。そのタイミングで世の中は「バブル経済」に踊るわけですから、歴史の歯車っておそろしいですよね。
【松前廣年=蠣崎波響というキャラクター。次ページに続きます】
