三方の山から流れる清らかな川や豊富な地下水脈に恵まれる「水のみやこ」。この町に名高い産業や文化を次々と花開かせた名水の存在とは。水が育んだ都の「今」を垣間見る。
賀茂川の上下流にある縁深い二社。禊のための“神聖な川”が流れる
「水の都」を雄大に流れる鴨川は、賀茂川とも書かれる。加茂川という字が充てられることもあった。古くは明確な区別はなかったようだが、明治以降、行政は支流の高野川との合流点から下流を鴨川、それより上流を賀茂川と表記するようになった。賀茂とはこの地を治めてきた豪族の賀茂氏である。
賀茂神社は、下鴨神社と上賀茂神社の総称である。下鴨神社は、賀茂川と鴨川の境に位置する「糺(ただす)の森」に鎮座する。縄文時代から生き続けるとされる森だ。上賀茂神社はその上流4kmにある。両社の関係をめぐる解釈には、ひとつの神社がある時期に分社されたなど諸説あった。現在の定説は、別々に存在したふたつの神社が、平安時代に国家鎮護の神社としてひとつになり、信仰を深めていったという見方である。
ちなみに二社を併記する場合は下鴨神社、上賀茂神社の順とするのが習わし。南の平安京から勅使が赴いたとき、先に下流の下鴨神社へ立ち寄るためだという。
平安遷都が行なわれた延暦13年(794)、桓武天皇はさっそく賀茂神社に行幸している。遷都の背景として、京都盆地の豊富な水を求めたという指摘もある。地勢を熟知する賀茂氏の守護神にまず敬意を示したことは、水に対する強い思いの表れともいわれる。
随所に残る水にまつわる儀式
両社を訪うときに目をとめたいのが美しい水景色だ。下鴨神社の境内から湧き出た水が集まる御手洗(みたらし)池では、5月の葵祭に斎王代御禊の儀が執り行なわれる。斎王代とは賀茂神社に仕えた皇女の代理のこと。久しく途絶えていた行事だが、昭和31年に復興し上賀茂神社と交互に行なわれている。
土用丑の日には、老若男女が池の水に足を浸して献灯を行なう「足つけ神事」で賑わう。御手洗池の水はふだんはあまりないが、7月の土用頃に湧き出てくるため“京の七不思議”のひとつだ。また、菓子のみたらし団子は、御手洗池の底から水とともに湧き出る泡になぞらえられたものと伝わる。
一方の上賀茂神社。鳥居をくぐって驚くのは、豊富な流水を巧みに取り入れた庭の美しさだ。渉渓園と名付けられた庭園では、毎年4月に賀茂曲水宴が行なわれる。曲水宴とは、目の前に盃が流れてくるまでに歌を詠み、飲み干してまた流す古の遊びだ。
訪れる際には、そんな風流な遊びに思いを馳せるのも一興だろう。
下鴨神社
京都市左京区下鴨泉川町59
電話:075・781・0010
参拝時間:6時~17時 境内自由
交通:京阪電車出町柳駅下車、徒歩約12分
上賀茂神社
京都市北区上賀茂本山339
電話:075・781・0011
参拝時間:5時30分~17時 境内自由
交通:地下鉄烏丸線北山駅下車、徒歩約15分