文/池上信次
前回(https://serai.jp/hobby/1185248)、1960年代初頭のビル・エヴァンスの日本盤発売ラッシュについて紹介しましたが、ほかのジャズ・ミュージシャンはどうだったでしょうか。今回は同じ時期の、マイルス・デイヴィスの日本盤発売状況を紹介します。
ジャズの「帝王」マイルス・デイヴィスは、1950年代後半からリーダーとして本格活動を始めました。アルバムもコンスタントに数多くリリースし、50年代末ごろにはその評価を決定的なものにしました。とはいえ、当然日本ではレコードでしかその音楽は聴けません。当時は輸入盤はあっても高価で、多くのジャズ・ファンにとっては日本盤がメディアの中心だったと思われます。聴けなければ評価のしようもありません。当時日本でマイルスのアルバムはどれが聴かれていたのか? 調べてみました。
マイルス・デイヴィスが1950年代後半から60年代初頭にかけて発表したアルバムの、アメリカ盤と日本盤の発売時期を並べてみました。日本盤については月刊誌『スイングジャーナル』の新譜紹介ページを参照しました。
●1行目は現在のCDタイトルとレーベル(記載なきものはコロンビア)と、アメリカでの発売年月。発売日順。
*は『スイングジャーナル』誌の新譜紹介掲載月号(レコード発売時期は月号表記の概ね1か月前)と、当時のLPタイトル。
『マイルス〜ザ・ニュー・マイルス・デイヴィス・クインテット』(プレスティッジ)1956年4月
*1961年2月号『マイルス』
『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクソン』(プレスティッジ)1956年8月
*1960年8月号『マイルス・デヴィスとミルト・ジャクソン』
『ブルー・ヘイズ』(プレスティッジ)1956年10月
*当時国内盤発売されず(?)
『コレクターズ・アイテムズ』(プレスティッジ)1956年12月
*『マイルス・デイヴィスとモダン・ジャズ・ジャイアンツ「その一」』1960年11月号
『ウォーキン』(プレスティッジ)1957年3月
*1960年6月号『ウォーキン』
『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』1957年3月
*1957年10月号 EP『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』
*1957年12月号『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』
『クッキン』(プレスティッジ)1957年7月
*1960年12月号『マイ・ファニー・バレンタイン』
『マイルス・アヘッド』1957年10月
*1958年4月号『マイルス・デーヴイス+19』
『バグス・グルーヴ』(プレスティッジ)1957年12月
*1960年5月号『バグス・グルーブ』
『リラクシン』(プレスティッジ)1958年3月
*1961年10月号『リラクシン』
『死刑台のエレベーター』(フォンタナ)1958年
*『死刑台のエレベーター』1958年7月号
『Jazz Track(国内盤CDなし)』1959年11月(LP片面は『死刑台のエレベーター』。
*『マイルスとJ.J.・ジャズ・トラック』(LP片面はJ.J.ジョンソンの演奏)1960年6月号
『マイルストーンズ』1958年9月
*1959年3月号『マイルス・トーンズ』
『ポーギー&ベス』1959年3月
*1959年9月号『ポーギーとベス』
『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』(プレスティッジ)1959年3月
*『マイルス・デイヴィスとモダン・ジャズ・ジャイアンツ「その二」』1960年11月号
『カインド・オブ・ブルー』1959年8月
*1959年12月号『トランペット・ブルー』(『トランペット・ブルー』は初回の発売時だけのタイトルで、1962年に発売された『マイルストーンズ』との2枚組セット『モードの探求』では、原題の『カインド・オブ・ブルー』になっています。)
『ワーキン』(プレスティッジ)1960年1月
*1960年9月号『マイルス・デイヴィスの芸術』
『スケッチ・オブ・スペイン』1960年6月
*1961年1月号『スケッチ・オブ・スペイン』
『スティーミン』(プレスティッジ)1961年夏
*1961年11月号『スティーミン』
『ブラックホークのマイルス・デイヴィス』1961年8月
*1961年11月号『マイルス・デイビス・イン・パーソン』
『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』1961年12月
*1962年6月号『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』
『アット・カーネギー・ホール』1962年5月
*1963年1月『マイルス・アット・カーネギー・ホール』
これを見ると、『カインド・オブ・ブルー』をはじめとするコロンビアでの主要作品は、アメリカ発売後かなり早くに日本でもリリースされています。もともと録音後すぐにリリースされなかったプレスティッジは、契約の事情もあってか、ゆっくりと出されていますが、さかのぼってほぼ全部リリースされていることからも、マイルスの高い人気がうかがえます。『スイングジャーナル』58年9月号には「マイルス・デヴイスを知るための18枚のLP」という特集記事があり、それまでにアメリカで発売されたLPがすべて紹介されていますが、その時点での国内発売はわずか2枚。60年代初頭からのマイルスの日本盤発売は、ファン待望のものだったのです。
リーダーとして活動を始めた1950年代半ばから、「モード・ジャズ」開発に進んだ60年代初頭のマイルスの先進性は、当時の日本にもしっかりと伝わっていたといえるでしょう。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』シリーズを刊行。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。