文/濱田浩一郎

武田信玄像。

『甲陽軍鑑』が記す「馬鹿」なる大将の実態とは?

『甲陽軍鑑』は江戸時代初期に成立した軍書であり、甲斐国の戦国大名・武田信玄・勝頼父子の事績や合戦などを記述したものです。その中に「我国」(自分の領国)を滅ぼし「我家」(自らの家中)をも滅ぼす「大将」には4タイプあるということが書かれています。それはどのような大将(指導者)なのでしょうか。

同書が第1に挙げるのが、馬鹿なる大将です。確かに馬鹿な大将は国を滅ぼすでしょうが、具体的にはどういった大将なのでしょう。今回は馬鹿な大将はなぜ国を滅ぼすのかについて見ていきましょう。

同書は馬鹿な大将といっても単なる馬鹿ではなく、それは大体は「剛なる者」(剛勇な人物)であると書いています。剛勇であり、我儘だと言うのです。そのような性質であるので、その大将は我を忘れて遊山・見物・月見・花見(能や踊り)、芸能に没頭してしまう。時に弓や剣術・馬術・鉄砲の稽古はするものの、その心が「戯け」(たわけ)であるから、中途半端なものとなる。しかし本人はそれに気が付かず、自分は国持大名だと自惚れていると言うのです。そのような大将の被官衆(家臣)は、大将の為すことを非難せず、褒めるばかり。

ところが意外なことに同書はそうした家臣の行為を非難はしていません。褒めるのは「道理」であると言うのです。家臣というのは、主君の為すことが良かろうと悪かろうと「見事です」と褒めるものだと言うのです。「よき大将」というものは分別があるので、上手く為し得たことを褒められるのは尤もだと感じる。一方、上手く為し得なかったことを褒められるのは、その場の儀礼の「挨拶」だと思うものだと同書は記しています。家臣が褒めることで調子に乗って「善悪」の区別が付かなくなってしまうことを「智恵を盗まれる」と言うのだと『甲陽軍鑑』は記すのでした。

とはいえ、自分を褒める家臣を「軽薄者だ」と言って叱る主君も悪い見本だと述べています。どのような大名の家中であっても主君に「異見」を言上できる家老は多くて5人、もしかしたら2・3人もいないからです。大体の家臣は主君にお世辞を言うものだということを同書は言いたいのです。よって世辞を言ったからといって怒るのも「馬鹿大将」だと主張しているのです。

「イエスマン文化」が蔓延る背景には何があるか?

同書にはこうした馬鹿な大将の家中の様子についても触れられています。家臣には「上・中・下」があると言い、前代からの家老には優れた人物もいると書いています。ところがその優れた家老も、現当主の側近に妨げられるのではないかと感じて、良い意見を持っていても口を開かないと同書は記します。大将は馬鹿であるので、家臣を見分ける眼を持たず、愚かな家臣ばかりを周りに集めてしまう。邪欲にかられた人々は悪い人物であっても「良い人だ」と褒めるので、そうしたイエスマンばかりが集まってくる悪循環に陥ると言うのです。

同書は馬鹿な大将には大体「慢気」(慢心)があると述べています。自分に眼力がなく、悪い者を取り立てていることに気が付かないと言うのです。一方、思慮のない家臣には「分別」がないし「義理」を知らない。主君のためという想いではなく「私なる意地」(我欲)があると述べています。こうした思慮のない家臣は主君が落ち目になると、行方をくらましてしまうと同書にはあります。その時になって、思慮のない家臣の愚かさが判明してももう遅いということでしょう。

『甲陽軍鑑』のこうした記述は、現代に生きる我々にとっても拳拳服膺(けんけんふくよう)すべきことでしょう。会社の組織がイエスマンばかりになっている企業は、組織崩壊の大きなリスクを孕んでいるとの指摘もあります。そしてそうした「イエスマン文化」が蔓延る背景には「経営層や上司が周りをイエスマンで固める心理が深く関係」しているとも指摘されています。『甲陽軍鑑』が説くところと基本的には同じだと言えるでしょう。周りがイエスマンばかりになってしまうのは指導層の能力や心理に問題があると言うことです。

文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。

 

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