文/印南敦史

画像はイメージです。

ここしばらく、かつて幾度となく聴いてきたマイルス・デイヴィスの作品をあらためて聴きなおしている。

『マイルス・デイヴィスの時代 ジャズの帝王とモダン・ジャズの軌跡』(小川隆夫 著、小学館)を読んでいたら、予想以上に引き込まれてしまったことがきっかけだ。

「あの作品が生まれたときには、こんなことがあったのか」と興奮せざるを得ないエピソードが次々と登場するので、それらの諸作品を新たな気持ちで聴いてみたいと強く感じたのだ。

しかし、そこまで思わせるのは当然でもある。なにしろ著者は、日本人としてマイルスにもっとも多くインタビューしてきた実績を持つジャズ評論家の小川隆夫氏なのだから。ちなみに整形外科医でもある氏が、マイルスから「マイ・ドク」と呼ばれたというのも有名な話だ。

今年は生誕100周年ということで多くのマイルス関連書籍が発売されており、そのうち何冊かも読んだ。しかし少なくとも私は、それらのなかでも本書の説得力が突出しているように感じている。お世辞ではない。

最大のポイントは、マイルスがたどってきた道のりと、ジャズがたどってきた歴史を並列させていることである。その結果、否定のしようもない絶対的な事実として、“マイルスの歴史がジャズの歴史”であることを強く実感させるのである。

改めて考えてみると、マイルスの歩みはそのままジャズの発展史と重なっている。1940年代末から91年にこの世を去るまで、ジャズ・シーンを牽引してきたのがマイルスだった。
マイルスを語るうえでジャズの歴史は欠かせず、ジャズの歴史を振り返れば、そこには必ずマイルスの足跡が刻まれている。
マイルスとジャズの歴史――この相関関係をひもといていけば、これまでとは違ったマイルスとジャズの関係が見えてくる。そう考えて、完成したのが本書である。
(本書「はじめに」より)

じつをいうと最初は、「はじめに」に書かれたこの部分をさほど気にかけていたわけではなかった。だが、読み進めていく過程で「そうか、マイルス自身がジャズの歴史だったんだよな」と感じ、再度「はじめに」にページを戻したりもしたのだった。

なお、“真実”にこだわり、当事者の言葉を積み重ねることで構成されていた前著『マイルス・デイヴィスの真実』とは異なり、ここには小川氏の考えや分析、論評、知見も“適度に”盛り込まれている。

“適度に”と書いたのは、「出すぎず、引きすぎず」ちょうどいいバランスが保たれているからだ。客観的な視点を重視し、ひとつひとつの事実と冷静に向き合ったうえで持論を述べられているからこそ、それらは水彩画のように史実と調和しているのである。

たとえば、書き味はこんな感じだ。

音楽のみならず、私生活においてもマイルスの姿勢は一貫している。折に触れて、彼は「自分の音楽をジャズと呼ぶな」と語っていた。ジャンルに関心はなく、よいものはよい――マイルスはそれを基準にしていた。だから、あれほど多様なサウンドが創出できたのだろう。こだわりのなさは、「ジャズと呼ばずに、音楽と呼んでほしい」といった言葉に象徴されている。
(本書101〜102ページより)

ご自身の見解を最小限にとどめつつ、読んでいるだけでマイルスの音楽が聞こえてくるような――マイルスのミニマルな表現そのもののようでもある。

だから引きつけられてしまうし、先述したとおり「マイルスのあのアルバムをまた聴いてみよう」と思わせもするのだ。

いや、それだけではない。読み進める過程においては、ギル・エヴァンスやジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、その他さまざまな重鎮たちの作品群を聴きなおすことにもなった。

マイルスがジャズの歴史なのだから、そこに関わってきた人々の作品を再確認したくなるのも当然なのである。

いずれにしても私はこの先、間違いなく本書を何度か読むことになると思う。資料価値もあるし(関連アルバム・データをまとめた巻末資料もありがたい)、読めば読むほどマイルスが好きになっていくようにも思えるからだ。

まだまだ書きたいことは多いのだが、最後にもうひとつ、素敵なエピソードをご紹介しておこう。

小川氏はあるときマイルスから、「どうしてお前は特別な用事もないのに俺のところに来るんだ?」と尋ねられたことがあったというのだ。

もちろん理由は“一緒の時間がすごせるうれしさ”だったようだが、それを口にするのは恥ずかしく、機嫌を損ねてしまうかもしれないと感じたため、咄嗟に「あなたの本が書きたい」と伝えたのだという。

それからは、会うたびに「俺の本はどうなった?」と聞かれた。こちらはその場しのぎの返答をしていたため、本になるかどうかはまったく白紙の状態だった。そうこうしているうちに、約束を果たせないまま、マイルスはこの世を去ってしまった。
(本書519ページより)

この部分だけを読むと、「残念だな」と思われるかもしれない。ところが、それだけでは終わらないのである。

結果的に、マイルスとのこの約束は小川氏の2016年の著作『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社、現在は小学館文庫)によって果たされることになったからだ。

こちらも、ここで部分的にご紹介するだけではもったいないほどの充実作なので、興味深いさまざまなエピソードを含め、別の機会にご紹介したいと思う。

『マイルス・デイヴィスの時代
ジャズの帝王とモダン・ジャズの軌跡』
小川隆夫 著
5170円
小学館

文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』(PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2026年
8月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Youtube
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

市毛良枝『百歳の景色見たいと母は言い』

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店