「画聖」、「水墨画の巨匠」などと評され、今なお日本美術史上で最も重要な画家といわれる雪舟。室町時代に活躍し、日本の絵描きとして初めて水墨画の本場・中国に渡った雪舟の絵画の本質とは何か。僅か20数件しかない雪舟真筆のうち、国宝指定される6作品の見どころを仔細に紹介。中でも『四季山水図巻( 山水長巻)』については特別に本誌引き出し付録で全図を掲載する。
【国宝】『四季山水図巻(山水長巻)』
国宝の中でも白眉というべき大作
中国から帰国して後、雪舟の庇護者となった山口の大名・大内政弘のために描いた大作。画風は南宋の画家・夏珪の山水画巻を参考にしたという。しかし、山下さんは次のように語る。
「それは形式を借りただけのことで、長大な画面に表された山や岩、四季折々の樹木や人物の姿は、すべて雪舟らしい奔放な筆遣いで描き出されています。水面に引かれた青い彩色の美しさは筆舌に尽くし難いもの。是非、じっくりと実見していただきたい作品です」
●解説 山下裕二さん(明治学院大学教授、美術史家・65歳)
【国宝】『慧可断臂図(えかだんぴず)』
シリアスなのにどこかユーモラス
「これは私が一番好きな雪舟の作品。国宝指定作の中では最新の2004年指定。なぜこんなに遅かったかというと、雪舟=山水というイメージが強すぎて、突出したスタイルの人物画である本作の魅力を理解する専門家が少なかったからです」と山下さん。座禅を組んだ達磨の白い衣の線は水墨というよりはマジックインキで引いたように見えるし、体躯のグラフィカルな表現は当時の絵画の規範をはるかに逸脱した傍若無人ぶり。山下さんはこのような有り様を「雪舟の乱暴力」と呼ぶ。
【国宝】『秋冬山水図』
室町水墨にしてすでに抽象画
上の図版は『秋冬山水図』冬景の岩山の部分だが、この絵には実に奇妙な描写が多々あるという。山下さん曰く、「中空に突き出したヘロヘロとした線が岩壁を表していますが、途中で切れている。その左下の遠景の山と同化した台型の山も不自然。画面下部のボトボトと置かれた墨の塊などもそうなんですが、これらは雪舟が“ここにこの形がなきゃ嫌だ、この黒い墨の塊がほしい”という衝動で描いているんですね。これこそが、当時の絵画の規範を逸脱した雪舟の乱暴力。それが当時、斬新だったのです」
【国宝】『破墨山水図』
国宝、一幅、紙本墨画、148.9×32.7cm、明応4年(1495)。雪舟76歳の作。絵の上に弟子に求められて描いたことや中国での回想が認められている。雪舟以前には皆無だった画家の肉声を伝える点で画期的で、故に国宝指定となった。
潑墨という前衛技法に挑戦
【国宝】『天橋立図』
日本美術史上、初となる実景描写
国宝、一幅、紙本墨画淡彩、89.5×169.5cm、室町時代(16世紀)。言わずと知れた日本三景のひとつである天橋立を描く。横の長さが170cmもある大幅で、21枚もの紙が用いられていることから、本作は雪舟が実際に現地を訪れた際に描いた下絵を継いだものと考えられている。画中の松林が続く長い砂洲が天橋立で、その先端の左側に智恩寺 、宮津湾を挟んで手前に栗田半島を描き、橋立の奥の山上に西国三十三所で知られる成相寺 、その右下の阿蘇海の水辺に丹後一宮として著名な籠神社などを描く。日本美術史上、初となる実景描写といわれる大作だ。
【国宝】『山水図』
国宝、一幅、紙本墨画淡彩、118×35.5cm、室町時代(16世紀)。画上左側の賛に友人の禅僧・了庵桂悟が「雪舟逝く」と認(したた)めている。揮毫(きごう)されたのは永正4年(1507)で、この少し前に雪舟は87歳くらいで亡くなったと考えられている。本作が絶筆とされる所 以である。岩や小径、楼閣や屹立する山々を幾重にも重ね合わせる画面構成が雪舟の特徴をよく表している。
最晩年にして際立つ雪舟の真骨頂
雪舟の絶筆とされるが、絵の内容はなんとも破天荒で乱暴力全開。例えば、遠景の船の手前にあるのに最遠景の山と同じ薄墨のシルエットで描かれる中景の山。「もう合理的な遠近感だとか、適切な奥行きの空間を描くことなど、どうでもよくなっていたのでしょう。“俺はとにかく真ん中あたりにこの遠景の山の形がほしい”という衝動で描いているとしか思えない。そんな生々しい息遣いや想いが如実に滲み出てしまうところに雪舟の本質があり、それこそが最大の魅力だと思います」(山下さん)
●掲載作品のうち、作家名のないものはすべて「雪舟」の作品です。また、特に明記した作品を除くすべての作品は京都国立博物館で開催予定の特別展「雪舟伝説」の出品作です。
※この記事は『サライ』本誌2024年5月号より転載しました。