取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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新型コロナウイルスが未知のウイルスだった3年前、感染拡大の震源地として、飲食店は休業に追い込まれた。政府や自治体は、休業補償のため、持続化給付金を支給した。最も金額が多かった東京都23区内の場合、個人経営のお店でも総額約700万円の協力金が支払われた。
今回、お話を伺った聡子さん(70歳・パート)の娘(45歳)は都内で小規模なスナックを経営しており、この給付金を活用した。働かずともお金が入ってくる味を知り、ますます店を休みがちに。聡子さんは孫娘(15歳)もいるために、彼女の将来を心配している。
娘は親に甘えており、親も娘に甘く強いことは言えず、それなりに余裕があるから庇護をする。貸した金の総額は600万円だ。それが娘をますます努力から遠ざけていることに気付いていない。
娘はもともと頭がよく、努力のやり方がわからない。加えて美貌とタイミングのよさもあって、25歳くらいまではかなり余裕がある生活を続けることができた。
しかし、“若さと美貌”という資本がなくなると、それは難しくなる。これを維持するために、大金を投じるようになった。
【これまでの経緯はこちら】
転機は27歳、77歳の男性と同棲するようになったこと
娘が美容整形をしていたのは、援助交際のようなことを続けていたからではないかと推測する。
「娘のお金では絶対に行けない旅先……というか、本人はチケットを取る努力さえしない、ギリシャやパリ、グランドキャニオンなどに行っていましたからね。娘がキャバを辞めた25歳からしばらくの間、ほとんど連絡を取っていないんです。下の息子の結婚や孫の誕生もありましたから。息子はいい子だから、お嫁さんの実家のご両親に見込まれちゃったんです。今、あちらのお義父さまと、北陸地方の建設会社の経営をしています」
息子(43歳)は幼いころからサッカーを続けており、根性があった。都立高校から人気私立大学に進学。父と同じ大学には手が届かなかったが名門だ。就活では8社の内定を受け、ゼネコンに就職。25歳の時に土木技師の妻と出会い授かり婚したという。
「ちょうどコロナの3年前に、“このまま会社にいても、将来はない。地方創生の仕事がしたい”と高収入を捨てて、あっちの実家の会社に転職。コンサルをしている夫も応援していて、財務諸表を見てアドバイスをしています」
息子が3年前にその建設会社に入ったときは、8億円の売上があっても赤字まみれだった。しかし、今は売上も10億円台に乗る勢いで黒字化ももうすぐだという。息子は父に相応のアドバイス料も払っている。
「まあ、言葉は悪いですが、あちらのおうちに“くれてやった”と思っています。いい子に限って巣立っていく。今、私たちが怖いのは、娘が店の物件を売って、実家に戻ってくること。娘の店は、築50年で駅から15分以上歩いたところにある。不動産バブルとはいえ、あんなところで店をやりたい人なんていないから、二束三文なはずなんですよ」
努力嫌いの娘が、古い物件とはいえ、店舗を持てたことが驚きだ。
「娘が27歳の時に同棲していた77歳の男性からもらったんですって。詳しいことはよくわからないんですけれど、この男性とはたぶん、男女の関係だったと思うんです」
聡子さんは男性に会ったことがない。娘は男性と付き合っているとき、非常に落ち着いていたという。介護をしていたのではないか。
「そうだと思います。昔から娘はおじいちゃんが好き。キャバクラ時代からイケイケで暴力的な男性に接してきたから、老成してエネルギーが少なくなった男性により魅力を感じるようになったんでしょう」
それから2年もしないうちに男性は亡くなる。彼は天涯孤独だった。人生の終わりに娘と出会えたことに、感謝をしていたのだろうか、店の物件のほかに相応の金も得たという。そして、娘は店を始める。
「このときに、店舗設計に入った当時50歳のバツイチの男と、30歳の娘が授かり婚するんです。もう行き当たりばったりでしょ? 話にならないのよ。正直、私は娘に子供を産ませたくないと思っていた。娘は努力をせずに、目先の快楽を最優先する“子供”ですから。子供が子供を育てるって不幸の連鎖。13年前に、大阪の二児虐待死事件ってあったでしょ。あのとき“ウチの娘だってありうることだ”と思いましたから」
【給付金で孫娘を私立校に入れてしまう……次のページに続きます】