文/晏生莉衣
英国議会の下院本議会場内で議員が使ってはいけないNGワードについて、前回(https://serai.jp/living/1114426)のレッスンで取り上げました。その中で、「ウソをついた」「故意に議会を欺いた、ミスリードした」と審議中に非難するのも、礼節ルールを破るものとして許されていないということに触れましたが、今回はこの点についてさらにくわしく解説します。
「真実を語る」という規則
「それは事実なんですか?」「本当のこと言ってますか?」「事実でないなら辞任しますか?」そんなふうに野党議員が大臣を厳しく責め立てて辞任を要求する。日本の国会ではおなじみと言ってもよいシーンですが、英国議会でも同様のやりとりはめずらしいことではありません。それによって審議が紛糾するのも同様です。
ただ、非難の応酬でやみくもに混乱状態に陥りがちな日本と違い、英国の場合、こうした紛糾が起こる要因として、関連する規定の存在があります。
(1) 一つは、内閣の手続きや政府の役職に就く議員の行為に関する慣習をまとめた文書 “Ministerial Code”(『大臣規範』)にある次の規定です。
「政府の役職に就く議員が正確かつ真実の情報を議会に提供し、不注意による誤りがあった場合はできるだけ早い機会に訂正することは、もっとも重要である。故意に議会を欺く役職者は、首相に辞任を申し出ることが要求される」
(“It is of paramount importance that Ministers give accurate and truthful information to Parliament, correcting any inadvertent error at the earliest opportunity. Ministers who knowingly mislead Parliament will be expected to offer their resignation to the Prime Minister.” 2022年12月版より引用)
これはすなわち、議会で故意に事実誤認させるような発言をしたり、故意に虚偽の答弁をしたりした場合、その議員は辞任を申し出ることが求められる、と決められているのです。
一点、注意すべきは、英語の原文にあるMinisterは、日本でいう国務大臣よりも広範囲な政府の構成員を指すということです。
日本の「大臣」を英語ではMinisterと言いますので、この文書に関してもMinister は「大臣」、Ministerial Codeは「大臣規範」と訳されていることが多いですが、英国政府におけるMinisterは、閣僚以外にもさまざまな政府の役職に就く議員が含まれ、ここ数代の政権では100人を超える役職者が任命されています。ですから、日本の閣僚のように限られた議員だけを対象としているのではなく、政府の役職に就く多数の議員についてこの規定が適用されます。
英国も日本も同じ議院内閣制度とはいえ、違いも多々ありますので、日本の国会を想像してその上にこの規定を重ねると、かなりピンポイントな辞任要求規定のように思ってしまうかもしれませんが、「うそをついてはいけない」というごく当たり前の行動規範が、政府の役職者である議員に対して広く課されていると考えてください。
自らを律するためのルール
(2) もう一つは、英国議会における議事進行手続きのバイブルとも言われ、大変権威のある『アースキン・メイ』(Erskine May)* に含まれている内容です。庶民院(下院)書記官のトマス・アースキン・メイ(1815–1886)によってまとめられたことからその名で呼ばれるようになったこの議会運営の実務手引書には、次のような項目があります。
「下院は、故意に誤解させる(ミスリードする)発言を行うことを議会侮辱罪とみなす」
(“The Commons may treat the making of a deliberately misleading statement as a contempt.”)
同書は最初に編纂されて以来、何度も改訂が重ねられてきていますが、最新版では、「政府の役職に就く議員で、委員会において不注意によって事実に反する不正確な回答を口頭で行った者は、侮辱罪を犯したとはみなされないものの、発言の書き起こしが確実に修正されるようにすべきである」とされ、かつ、過ちについて下院に謝罪することが勧告されているという説明が加えられています。
英国政治は伝統的に慣例や憲法習律によって成立しているという特徴があり、“Ministerial Code” も『アースキン・メイ』も、違反者を厳罰に処するための規則集という性質のものではなく、あくまで行動規範を示したものです。しかし、慣例上、これらに記されている規定に抵触した場合は自発的に責任を取ることが強く求められており、倫理的な拘束力がありますので、議員の言動に対して大きな影響力を持っています。
責めるほうも責められるほうも責任重大
前回のレッスン中(https://serai.jp/living/1114426)、英国議会下院で「首相は議会を進んでミスリードした」という発言を繰り返した野党幹部議員が議長によって退席を命じられたというエピソードを例にあげましたが、そのような批判を審議中に軽々しくしてはいけないとする背景には、下院の礼節ルールに反するということに加えて、こうした行動規範の影響も考えられます。
(1) と(2) のどちらの引用にもまさしくmislead(ミスリード)という英語が用いられていて、意図的にミスリードした場合は重大な引責問題につながるという主旨が示されていますから、そうした不正行為を行ったと批判する側のほうの責任も重大で、慎重さが求められます。それを踏まえると、なぜ、下院議長がこの「ミスリード」発言を問題視して繰り返し訂正を求めたのかについても、理解することができるでしょう。
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真実を語る。間違ったら謝る。こうしたことは、政治倫理を持ち出さなくても人として当然のことですが、政治家にはさらに、国民の代表としてふさわしい行動を取ることが求められるのは、日本でも英国でも同じです。
一方、英国では、議員に求められる行動規範をウェブでわかりやすく一般公開しています。今回引用した“Ministerial Code”は英国政府 (GOV. UK) のウェブサイト、『アースキン・メイ』は英国議会 (UK Parliament) のウェブサイトに掲載されていて、『アースキン・メイ』オンライン版には使いやすい検索機能も付いています。
英国政治のこうした「エシカル」(ethical) な取り組みからは、議院内閣制を生み、その発展に腐心を続けているという意味で、歴史の重みの違いのようなものを感じさせられもします。
英語の勉強をかねて、皆さんもウェブサイトから一読されてみてはいかがでしょうか。
* Thomas Erskine May, “Treatise on the Law, Privileges, Proceedings and Usage of Parliament” (1844年初版)
文・晏生莉衣 (あんじょう まりい)
教育学博士。国際協力専門家として世界のあちこちで研究や支援活動に従事。国際教育や異文化理解に関するコンサルタントを行うほか、平和を思索する執筆にも取り組む。近著に日本の国際貢献を考察した『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。https://note.com/mariianで発信中。