皆さんのまわりに自分のよくない癖について、苦言を呈してくれる人は、おられるでしょうか。仕事上はもちろん、趣味や地域活動を始めている方は、気に入らない人にどんな風に接していますか?
サライ世代ともなると、他人に陰であれこれ文句を言われることはあっても、面と向かって諭してもらえることはほぼ期待できないかもしれません。なぜなら相手は「言っても無駄」「波風立てたくない」と年長者にはある種の配慮をしてくれるからです。反対にこちらも、自分のことをよく知りもしない人や経験不足の人、嫌いな人に何か言われても、「大きなお世話」と言いたくなることでしょう。
そこで、「心磨く名言」第六回は、「東の渋沢、西の五代」と並び称された明治初期のカリスマ実業家・五代友厚の名言をご紹介いたしましょう。
五代友厚の多くの名言の一つに、友人の大隈重信にあてた短所五か条があります。その第五条には以下の忠告があります。
己其人を忌む時は其人も亦己を忌むへし。故に己の不欲人に勉て交際を弘められん事を希望す。
この忠告は、「自分が嫌えば、相手もまた自分を嫌う。気のすすまない人とこそ積極的に交際してください」ということ。自分の性格はそうそう変えられないので、私たちは「もう、この歳になったら、嫌な人とは交際したくない」と思いがち。しかし、好むと好まざるとにかかわらず、時に自分の合わない人と一緒に何かをすることが求められます。ましてや「多様性」を大事にする令和の今なら尚更です。
自分が嫌だと思うと、ついそれが態度に出てしまい、不思議と相手にも伝わって険悪な雰囲気や疑心暗鬼になるもの。そこで、あえて積極的に関わってその人を知ることで、付き合い方や良好な距離感を判断します。
年齢や性別、国籍、障害、自分が会社や学校、家庭で身につけた考え方との違いが要因だと、相手を知ることで、否定的な感情が少しずつ薄れます。最初は戸惑って理解し難くても、これまでの人生では得られなかった、新しい気づきを与えてくれる貴重な存在に転じることもあります。難しいかもしれませんが、ぜひ試してみてください。
五代友厚が大隈重信に伝えた、残り4つの短所とは
参考までに、五代友厚が大隈重信に伝えた、ほかの4つの短所を簡潔にお伝えします。
「愚説・愚論でもよく聞く」「立場が下の人の意見が自分の意見とほとんど変わらない時はその人の意見をほめて採用する」「怒気怒声を発していいことはない」「決断するのは、十分煮詰まるのを待ってから行う」という内容です。
大人になっても、ここまで親身に諌めてくれる友人は得難いこと。大隈重信は「明治十四年の政変」で政界を追われたのちも、復帰を果たし、総理大臣も務めています。晩年は政治的見解を問わず、多くの人を家に迎えたそうです。苦言を呈してくれる友人のことばを自らの経験を通して昇華していったのかもしれません。
※ことばの解釈は、あくまでも編集部おける独自の解釈です。
五代友厚の人生
五代友厚は、天保6年(1836)に薩摩国鹿児島郡城ヶ谷(鹿児島市長田町)にて、薩摩藩士・五代秀堯(ひでたか)の次男として誕生。幼名は才助。青年期に長崎海軍伝習所で学んだのち、欧州留学。慶応4年(明治元年・1868)に明治新政府の参与としてに出仕し、大阪外国官権判事・大阪府権判事になります。明治2年(1869)には会計官權判事に任ぜられ横浜に転勤するも官職を辞し、民間人として大阪に戻り、実業家に転身。
明治2年(1869)に「金銀分析所」を設立、明治4年(1871)に創業した大阪の造幣局に、日本の在来の金貨・銀貨を購入・精製し、金貨・銀貨の材料として金銀の地金を納入する事業を開始します。
その後、鉱山業を手がけるほか、明治11年(1878)大阪株式取引所(現・大阪取引所)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立。製鋼・貿易・銀行・鉄道会社の設立に尽力し、明治中期以降、商都・大阪は「東洋のマンチェスター」と言わしめるほどの産業都市へと成長することに。
その背景には「大阪財界の父」としての五代友厚の存在と功績が大きいと言えましょう。大阪市内の数か所で五代友厚の銅像を目にすることからもそれが伝わります。明治13年(1880)には大阪商業講習所(現・大阪市立大学、大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を創立するなど、人材育成にも尽力しています。
晩年、明治14(1881)に「北海道開拓史官有物払下げ事件」で世間の批判を浴びた後も、神戸桟橋会社(現・神戸桟橋株式会社)や阪堺鉄道会社(現・南海電気鉄道株式会社)など、今も続く事業を精力的に起こし続けました。最期は明治18年(1885)に東京・築地の別邸で死去。享年49歳。大阪の阿倍野墓地(大阪市設南霊園)に葬られ、敷地内には五代友厚顕彰碑も建立されています。
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五代友厚といえば、NHK大河ドラマ『青天を衝け』や連続テレビ小説『あさが来た』で、俳優のディーン・フジオカさんが好演したことで注目を集めました。『青天を衝け』では、幕末から明治維新の変革期において、日本の資本主義の礎を創り上げた実業家・渋沢栄一に大きな影響を与える存在として、女性実業家の広岡浅子がモデルの『あさが来た』では、ヒロイン・あさを応援する人物として登場。
ドラマはフィクションも含まれますが、ここぞというときに、自らの利益を第一とせず、日本や主人公たちのために進言し、対立の中での交渉役や仲介役を引き受ける姿が印象的でした。
五代友厚が友人・大隈重信に進言し続けたこの言葉には、人として大切にすべき普遍のありようが込められているように感じられます。人生100年時代と言われる令和の今、これまでとは世の中の価値や生活様式が大きく変わり、激動しています。これからの予想もつかない変化に自分も対応できるよう、人と交わる時に大切にしておきたい心磨く名言です。
肖像画・アニメーション/もぱ・鈴木菜々絵(京都メディアライン)
文/奈上水香(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com
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引用・参考図書
『大隈重信-民意と統治の相克-』渡辺将之/中公叢書
『新・五代友厚伝 近代日本の道筋を開いた富国の使徒』八木 孝昌、 大阪市立大学同窓会/PHP研究所