取材・文/ふじのあやこ
時代の移り変わりとともに、変化していく家族のかたち。幼少期の家族との関係を振り返り、自身も子供を持つようになったからこそわかるようになった思いを語ってもらいます。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、大阪にある飲食店で働いている直美さん(仮名・38歳)。直美さんは母親と7歳上、5歳上に兄のいる4人家族。生まれた頃から父親はおらず、働きに出ている母に代わって面倒を見てくれたのは一番上のお兄さんでした。2人の兄が社会人になり、直美さんも高校生になった時、妊娠が発覚します。
「生理が来ないなってくらいしか考えてなかったんですけど、中学校からの付き合いの友人に思い当たることがあるなら調べてみたほうがいいと言われて。軽い気持ちで調べたら、妊娠が発覚してしまって……。自分が母親になることよりも、この事実をどう隠したらいいのか、バレたら兄が行かせてくれた高校をやめなくてはいけなくなると、そんなことばかり考えていました」
助けられる度に、兄は正しくて、自分は正しくない。そんな気持ちを抱くようになっていった
友人に相談し、総合病院を受診。妊娠が確定になり、パニックになってしまった直美さんは同居している兄に相談したと言います。
「兄にはめちゃくちゃ怒られました。それに、相手を呼んでこいと。まだ彼には話してなかったけど、彼には母親がいない時に家に来てもらって、3人で話し合った結果、中絶することになりました。そのぐらいから徐々に赤ちゃんがいること、いなくなることについて現実になっていったというか。そこから手術まで、あっという間でした。お金は兄が出してくれて、社会人になったら2人で少しずつ返していこうと話し合ったんです。でも、私がアルバイトをやめてしまったことで、彼とは別れるという言葉さえなく、疎遠になりました。結局それっきりです」
その後体調が回復したことで、別の場所でアルバイトをスタート。毎月5万ほどのお給料の中から、2万円を兄への返済にあてていたそうです。
「兄は一度怒っただけで、その後は相変わらず優しくて、母親やもう一人の兄にも一切話さずに、私が黙っていてほしいといった約束をずっと守ってくれていました。それに手術後に少し痩せてしまったんですが、そのことを気にして、仕事終わりによくお菓子やケーキなどを買ってきてくれるようになりましたね。その優しさが嬉しかったけど、自分と兄との人間の出来の違いを見せつけられているようで、家に居たくない思いからアルバイトを必死でしていた記憶があります。当時は母親の顔を見るのも、罪悪感があったから余計に……」
【「死ぬまで家族」。その言葉で拒否されたとしても戻れる場所があることを知った。次ページに続きます】