警察活動を取材した人気ドキュメンタリー番組がありますが、その放送の中で、必ずと言ってもいいほど登場する場面があります。女性白バイ隊員に違反切符を切られているドライバーが、なかなか違反行為を認めず言い逃れをするシーン。中には、交通機動隊員に掴みかからんばかりの勢いで、罵詈雑言を浴びせ、悪態をつくドライバーも登場します…。
言い逃れをする多くのドライバーのセリフは「俺だけじゃないでしょ」「みんなやってるじゃないですか」などと、まるで子供の様な言い訳。そんな場面を観ておりますと、私は、いつも気まずく、どこか後ろめたい気持ちになってしまいます。
それは… 過去、自分も同じような言い訳をした経験があり、その時の記憶が蘇ってくること、そして日常生活において似たような場面が思い浮かんできてあたかも己の姿を投影しているようで、なんとも居た堪れなくなってしまうのです。
例えば、普段生活の中でルールやマナーも守れず、人様からご指摘やご注意をいただくことがございますが、素直に「御免なさい」とか「すみません」と謝ることができないことがあるからです。
後になって、冷静になって考えれば「お恥ずかしい」と思うのですが、未だに人間ができていないと申しますか、未熟と申しますか、誠に人間的にお粗末な話でございます。そんな時、頭に浮かぶのは「謙虚とは何ぞや?」ということ。
そこで、「心磨く名言」第五回目は、NHK大河ドラマ『青天を衝け』にも登場いたします松平慶永(春嶽)の名言を取り上げてみました。
サライ世代ともなりますと、年齢もそこそこ、経験もそこそこ、知識もそこそこ、もしかすると、全て分かっているような気持ちになっているのかもしれませんね。一廉の人物であるほど、人の話をよく聞くと申します。
「謙虚、謙虚」己に、言い聞かせているうちは、まだまだ「謙虚な人」には成れていないのかもしれません。さすれば、松平慶永(春嶽)の名言を旨とし、広く人様の意見や進言を受け入れるよう努めては如何でございましょうか?
■松平慶永(春嶽)の人生
慶永は、田安徳川家三代目当主・徳川斉匡の八男として江戸に生まれました。越前福井藩に養子として出され、当主である松平斉善が若年で突然死去すると、わずか11歳にして福井藩16代目藩主となりました。
ちなみに、彼は元服すると自身を「松平越前守慶永」を称しました。知名度の高い「春嶽」という名は、生涯愛用した雅号に当たります。
藩主としての慶永の業績は、名君の名にふさわしいものでした。有能な藩士である中根雪江や、村田万寿、橋本左内、由利公正らの登用、藩校「明道館」の創設、殖産興業、洋式兵制の導入、種痘館の設置など…。当時90万両もの負債を抱え、疲弊していた藩政を立て直しました。
その後は、15代将軍徳川慶喜を補佐して、尊王・敬幕・開国の立場を守りながら、幕政改革や公武合体の推進などの国政の重要な役割を担いました。明治になり、政府の要職を歴任しましたが、わずか8か月で一切の官職を辞し、晩年は文筆活動に専念しました。
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慶永は人の意見をよく聞く人物だったと言われています。それだけに彼の周囲には、恐れず意見を述べる、中根雪江や橋本左内などの優れた人材が出現したと言えるでしょう。また、彼は多くの政治的対立の間を取り持って、調停する立場でした。素直に相手の意見を受け入れられる謙虚な人物だったからこそ、その役割を担えたのでしょう。
慶永の名言や人生を概観すると、人は非常事態や問題の渦中にある時こそ謙虚であるべきだと教えてくれているように思われます。変化の時代である今こそ、周囲の人の声に耳を傾け、視野を広く持つ謙虚な姿勢が求められるのではないでしょうか。
肖像画/もぱ
文・構成・アニメーション:貝阿彌俊彦・豊田莉子(京都メディアライン)
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