ライターI:今年もひまわりの季節がやってきました。
編集者A:あれからもう8年も経つんですね。本当にわさびちゃんはかわいくて愛らしい子猫でした。もうわからない人が多いかと思いますから概要をどうぞ。
I:北海道に住む父さん・母さん夫妻がわさびちゃんと出会ったのは、2013年6月2日でした。自宅付近の路上で子猫がカラスに襲われているのを見たふたりは、その子猫を助けます。子猫は重症を負っていましたが、父さんと母さんの懸命な介護により命を取り留めたんです。
A:保護猫の情報を得るために始めたツイッターでアップした、たらことかしめじの形の手編みのおくるみがかわいくて、話題になったんですよね、それで我々の目にもとまって。
I:口の中の怪我のせいでミルクを飲めなくて、医療用のカテーテルで授乳しなければならず、その際、嫌がって暴れるのを防ぐために、医療目的で着せたのがあのおくるみだったんですよね。母さんのお母さん(わさびちゃんからするとおばあちゃん)が手芸が得意で、かわいいおくるみを作ってくれたんです。かわいかったなぁ。
A:本を出版しませんかと相談するために、北海道まで行きましたね。本当に温かい家族で、初めて会う飼い犬のぽんちゃんもテンションが高くて、熱烈歓迎してくれたのを今も覚えています。
I:それまであまり野良猫たちのことを知らなかったという夫妻でしたが、わさびちゃんと出会って、これは問題なんじゃないかと気づかれたそうで、本にすることで啓発になればと思い、出版を決意してくれました。その後、わさびちゃんもめまぐるしく回復し、家中走り回ったり、ぽんちゃんと遊んでいたし、本も順調に準備をしていたのですが、ある日、容体が急変し、亡くなってしまいました。その日は朝からなんだか胸騒ぎがして、居てもたってもいられない気分でした。
A:報せを聞いて電話したんですが……。わさびちゃんは無邪気で明るくて元気いっぱいで、ちょっといたずら好きのかわいい子だったこともあって、父さんと母さんがひまわりみたいな子だったって。だから、わさびちゃんが亡くなった8月27日は、私たちにとってもひまわり忌になりました。
I:後に母さんが、Aさんが一緒になって号泣してくれたって言っていましたよ。それで、本についても中断した方がいいかなという話が出て。でも、数日考えた後、不幸な猫を減らしたい、もっと多くの人に知ってもらいたい、という思いから改めて出版することになりました。 それでできたのが『ありがとう!わさびちゃん』でした。 売り上げの一部は、わさびちゃんちからも小学館からも、動物愛護活動をする団体や医療機関などに寄付しました。
A:父さんと母さんの献身的な介護や優しさ、わさびちゃんのかわいさが話題になって、テレビなどでも多く取り上げていただきましたね。
I:その後、父さんと母さんは猫の保護活動をするようになり、第二弾となった『わさびちゃんちの一味ちゃん』出版の時には、動物病院とコラボして、費用をわさびちゃんちが負担する形で100匹の野良猫の不妊手術をするというキャンペーンをしました。
A:北海道大学獣医学部の病院にも、動物医療の進歩への研究を頑張ってもらうために寄付をして、今も高額寄付者としてプレートが掲げられているんですよね。見せかけだけじゃない、本当の強い思いを持った夫妻で、頭が下がる思いです。一緒に本を作って、こちらも猫や命のことだけでなく、人としての生き方とか、多くのことを教えてもらったと思っています。
わさびちゃんちの母さんが振り返るこの8年
I:さて、そのわさびちゃんちの母さんと電話がつながっていますよ。
母さん:Aさん、ご無沙汰しています。
A:お久しぶりです。わさびちゃん以来、毎年のように北海道に会いに行っていましたが、今年はコロナなんかもあってまだ行けていません。すみません。
I:Aさんが最後にわさびちゃんちに行ってからも、さらにわさびちゃんちの保護猫は増えたんですよ。今、里親募集中の猫たちも含めると25匹いるんですよね。
母さん:そうなんです。持病があって通院しなくちゃいけない子たちはなかなか里親募集できないんですけど。
I:こんなに保護活動を頑張っているその原動力って、いったいなんでしょうか。
母さん:やっぱり、わさびが残してくれたものを猫にちゃんと還元したいというのが大きいです。それから、野良猫たちの現状を知ってしまったからには、見て見ぬふりができなくなってしまったということ。
あと、わさびが亡くなって1か月くらいした時に、わさびと同じくらいの子猫の一味と出会って、やはり放っておけなくてうちに迎えたことも大きかったです。そうすると、一味の兄弟や母猫のことも気になって、そこから活動が始まった感じですね。そしたら、こんなにも世の中には野良猫がいっぱいいたのか、って。それまで気にもしなかったのに、車を運転していてもすぐに野良の存在に目がいくし、だんだんといそうな場所もわかってくるし。
I:保護活動と一口で言っても、やったことがある人にしかわからない苦労はたくさんあると思います。
母さん:本当にいろんな現実を見てきたと思います。何より、野良猫を嫌いな人、排除したいと思っている人の多いこと。家の周りに野良猫が増えすぎて、糞尿で汚れたりご飯の食べ残しがあったり、それを狙ってキツネが来たり。迷惑だと思う人の気持ちもわからないではないですけど、じゃあなんで増えたのかっていったら、不妊去勢の手術をしないで餌だけあげて、どんどん野良猫を増やす人がいるからなんですよね。最初のうちは1匹、2匹をかわいがっていたとしても、その猫たちが子供を生み、子猫たちがおとなになってさらに子供を生み、減る理由がないんです。餌があると思って他の猫たちも集まってくるし。
I:前に母さんから聞いた、家の周りに野良猫がたくさんいて町内からも嫌われ者になっているおばあさん、その後、どうなりました?
母さん:あれね、あれは、本当に悲惨な話なんです。家の周りが猫だらけでしたけど、もともとそのおばあさんが集めたわけじゃなくて、隣の家の人が外猫たちに餌やりをしてて、不妊しないからどんどん猫が増えたんだけど、高齢で亡くなっちゃったんです。でも、その人の子供たちは猫の面倒は見ないし、家の中にいた猫たちもみんな外に出して、誰も世話しなくなったんです。
A:無責任な餌やりさん、というのですね。
母さん:猫たちは人間に頼って生きていたから、食べるものがなくて、途方に暮れて、その家の周りで鳴いたりなんだりしてたんですけど、それを見かねた隣家のおばあさんが、猫たちに餌をあげるようになったんです。掃除したり、猫たちが寒くないように箱を置いて住処を作ってあげたりして、最初は優しい人だったと思うんです。でも町内では、猫が増えたのはおばあさんのせいってことにされてしまったんです。
I:ああ、それでそのおばあさん、偏屈になってしまったんですね。
母さん:そうなんです。心を閉ざして誰とも交流しなくなってしまったんです。私が初めてそのおばあさんを訪ねた時には、おばあさん、私が猫を殺しに来たと勘違いしたみたいで、怖かったですよ。でも、通ううちにだんだん心を開いてくれて、わかってくれるようになったんです。
I:猫たちのフードを持っていったり、周りを片付けたりって手伝ったって言っていましたよね。
母さん:でも、そのおばあさん、もともと持病があって、出会った時から具合が悪そうだったんですけど、結局亡くなってしまったようで…。
A:かわいそうな話ですね。野良猫を増やす人がいて、野良猫たちが嫌われて、その尻ぬぐいと言ったら語弊があるかもしれませんが、お世話をする人が嫌われて鼻つまみみたいになって、って、野良猫問題の縮図みたいな話なんですね。
母さん:そうなんです。おばあさんの名誉のために、ここでそれを言いたかった。
I:母さんと父さんは、他にもそういう問題のあるエリアに関わっていましたよね。
母さん:そういう場所は何カ所かありますね。最初は全く理解してくれなくて、子猫が生まれたら駆除していた、なんて平気でいう人たちのいたエリアでは、何度も話して、理解のある住人の方からも話してもらって、地域の人たちで見守っていこうって話になりました。その後、野良猫たちが冬に過ごせる小屋まで作ってくれたんですよね。
A:結局、猫の問題といっても、人の問題なのかもしれませんね。猫だって生き物なんだ、尊い命なんだって、なんでわからないのかな。
母さん:命の尊さという意味ですごく印象深いというか、脳裏に焼き付いて離れないことがありました。不妊手術をした後で、もとの場所に戻すことをTNRというんですけど、TNRしようと捕獲して連れ帰った雌猫の体を見たら、おっぱいが張っていて、明らかに子供を生んだばかりだというのがわかったんです。それでこれは大変!子猫がいるはず!って思って、探しに戻ったんです。
I:確か、何時間も探したんでしたよね。
母さん:地域全体をくまなく探したんですがなかなか見つからないと思っていたら、空家から微かに子猫の声が聞こえたんです。それで入ってみようってことになって。でも、私たちが中に入った途端、子猫がピタッと鳴きやんだんです。
A:お母さん猫じゃない、何かが来たって思ったんでしょうね。乳飲み子なのに、すごいですよね。
母さん:それで、探して探して。そしたら、亡くなってだいぶ時間が経過したと思われる、猫の白骨があって…。ショックでした。きっと弱って、敵に襲われないようにここに隠れて息を引き取ったんだなって…。そして、そのすぐ側にあった小さな箱の中に、子猫たちがいたんです。大したもんだと思いました。亡くなった仲間の側に、子猫たちをすごく上手に隠してたんですね。ああ、こうやって尽きてしまう命があって、こうやって懸命に守られている命があって…。
A:泣けてきます。
I:猫って本当に健気です。先ほどの話じゃないけど、増やしたのは人間なんだし、人間がみんなで責任を持つべきなんですよね。
母さん:そう!1億も国民がいるんだから、ひとりちょっとずつでも出せばTNRが進むし、地域の野良猫トラブルだって減るのに。そして、願わくば、各家庭で5匹とか、猫を飼って(笑)。家族の人数分とか(笑)。
I:わさびちゃんちから複数の猫ちゃんを引き取っている里親さんもいますよね。
母さん:何組か。保護名おぼろ、ゆばという兄弟がいるんですけど、最初におぼろを捕獲したんですね。それで里親さんが見つかって。その里親さんは子猫子猫言わない方で、成猫の方が性格がはっきりしているから成猫がいいっておっしゃるような方だったので、少し成長していたおぼろはすんなり譲渡できたんです。
I:おぼろ、いっちょ前にシャーシャー言っていた頃のことを思い出します(笑)。
母さん: その後、おぼろの兄弟のゆばを捕獲したんですが、おぼろ以上に警戒心が強い子で、だいぶ大きくなっているし、里親さんを見つけるのは大変かなって思ってたんです。そしたらおぼろの里親さんから連絡があって、おぼろの兄弟ならぜひうちで!って言ってくれたんです。そのご家族のことはすごく信頼していたし、ゆばはうちにさほど滞在せず、里親さんが決まった感じでした。
I:おぼろ、ゆばと言えば、その前に母さんたちが保護したのがとうふ、もめん、きぬ姉妹だんですよね。そこからの、おぼろ、ゆばで。そのとうふちゃん、今はわさびちゃんちに戻ってきていますね。
母さん:そうなんです…。譲渡条件を守って頂けなくて、返してもらうことにしました。未練もなく、すんなり返されたのがまた、悲しかったな。
A:里親さんとこまめに連絡をとったり、様子を見ているからわかったことですね。
母さん:はい。とうふのことがあって以来、ますます譲渡条件を厳しくしちゃっていますが。でも、やっぱり責任を感じるんです。命だから。
I:数えてみたら、子猫と成猫併せて89匹を保護し、さらにTNRも数えきれないくらいしていて、昨年はきゅうりちゃんというシーズー犬も保護されてましたね。
母さん:そうなんです。猫が20年生きるとすると、私たち人間の年齢もあるし、保護活動はいったん一区切りにしようと思っています。今、飼い猫と保護猫併せて25匹のお世話をしていて、すごく命の重さというか、責任を感じています。関わったからには、この子達を幸せにしよう、最後まで面倒を見ようって。譲渡した猫たちのことだってずっと離れたところから見守っていくつもりです。
A:事故や病気で里親さんがいなくなったり、飼えない状況に陥ってしまう可能性がゼロではないから、将来戻ってくる子がいないとも限らないですしね。全てを救えるなんてないですし、関わった命の責任を持つのはとても大切なことだと思います。
I:本当にお疲れ様でした。この8年で動物愛護に関する法整備もちょっとずつ進んでいるし、保護猫を迎えるという飼い主側の意識も変わってきています。その背景には、わさびちゃんちみたいに頑張っているボランティアさんたちが全国にたくさんいるからだと思います。
A:わさびちゃんがつないでくれたもの、教えてくれたことに、私たちも本当に感謝しています。改めて、ありがとう、わさびちゃん、って言いたいですね。
母さん:まだまだ里親募集中ですし、終わりじゃないですけどね。みんな、1家族5匹の保護猫でお願いします(笑)。
わさびちゃんち
北海道に住む「父さん」「母さん」夫妻。子猫のわさびちゃんを助けたことがきっかけとなり、猫の保護活動を始める。愛犬のゴールデンレトリーバーのぽんず通称「ぽんちゃん」も夫妻を手伝って保護猫たちのお世話をしている。「父さん」こと斎藤洸さんはSNARE COVER名義で音楽活動をしており、2017年emergenza日本大会優勝、ドイツで行なわれた同世界大会でベストシンガー賞を受賞した実力派アーティスト。わさびちゃんちとしては、『ありがとう!わさびちゃん』、『わさびちゃんちの一味ちゃん』、『わさびちゃんちのぽんちゃん保育園』を上梓。いずれも売り上げの一部を動物の保護活動やTNR活動のために寄付している。
●ライターI
月刊誌『サライ』歴史班のライター。猫好き。猫の保護活動やボランティアをしており、自身も保護猫2匹と暮らす。著書に『きみんお声を聞かせて 猫たちのものがたり-まぐ・ミクロ・まる』がある。
●編集者A
月刊誌『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の「半島をゆく」を担当。その傍らで
『ありがとう! わさびちゃん』シリーズ、『俺、つしま』など猫本の編集も手がける。猫好きで、自身も2匹の保護猫と暮らす。うち1匹はわさびちゃんちとのご縁で迎えた。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり