『サライ』本誌でCDレビューを連載している音楽ジャーナリスト・林田直樹さんによる、晩夏の南仏プロヴァンス紀行。今回はゴッホが晩年に数多の傑作を生み出した、とある場所を訪ねましょう。
南仏プロヴァンスの小さな町、サン=レミ・ド・プロヴァンスのやや外れた場所に、サン・ポール・ド・モーゾール修道院がある。ここは12世紀のロマネスク様式の美しい建物で、18世紀以降は精神病院として使われていた。
町の中心部からの道沿いには、点々と画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)の描いた名画のモデルとなった風景ポイントが記されている。そう、ここは晩年のゴッホが自ら希望して入院した場所でもある。
1889年から90年にかけて、わずか1年ほどの間に150点以上もの傑作群がここで制作された。歴史ある修道院とプロヴァンスの太陽とオリーヴ畑が、画家の魂に新たなインスピレーションを与えたことは想像に難くない。
「オリーヴの木」に宿る狂気のような情熱や「星月夜」のギラギラした夜空に衝撃を受けた方も多いと思う。あの激しい作品群は、こんなに静かな場所で描かれたのだ。
ゴッホは手紙で次のように書いている。
「ぼくらは日本の絵を愛し、その影響を受け、またすべての印象派の画家はともに影響を受けているが、それならどうしても日本へ、つまり日本に当たる南仏へ行かないわけにはゆかぬ。だから芸術の未来は何といっても南仏にある」(※出典『ゴッホの宇宙 きらめく色彩の軌跡』小林英樹著、中央公論新社)
アルルへ、そしてサン=レミへとプロヴァンスの日々を過ごしたゴッホにとっては、南仏の光と影の美しさは、日本の絵ともつながっていた。そしてそこに彼は芸術の未来を感じていたのだという。私たちには驚くべきことである。
修道院の庭には、大きな柿の木があった。日本と全く同じような葉が生い茂り、南仏の太陽から涼しい木陰を作っていた。
ゴッホの頃にこの柿の木があったのかどうかはわからない。後から植えられた可能性もある。けれど柿の木は、プロヴァンスと日本はどこか重なっているということを、教えてくれているようにも思えた。
南仏は、決して遠いところではない。
【サン・ポール・ド・モーゾール修道院】
住所:13210 Saint-Remy-de-Provence, France
定休日:12/24~1/1、11/1
写真・文/林田直樹
音楽ジャーナリスト。1963年生まれ。慶應義塾大学卒業後、音楽之友社を経て独立。著書に『クラシック新定番100人100曲』他がある。『サライ』本誌ではCDレビュー欄「今月の3枚」の選盤および執筆を担当。インターネットラジオ曲「OTTAVA」(http://ottava.jp/)では音楽番組「OTTAVA Liberta」のパーソナリティを務め、世界の最新の音楽情報から、歴史的な音源の紹介まで、クラシック音楽の奥深さを伝えている(毎週木・金14:00~17:00放送)