文・写真/パーソン珠美(海外書き人クラブ/シンガポール在住ライター)
知られざる桃源郷パミール高原
多くの人にとって、名前は聞いたことがあってもそこに何があるのか思い浮かばない、という場所がある。パミール高原もその一つではないだろうか。人々の話題に上ることはほとんどないが、しかしそこには、壮大かつ秀麗な、万年雪をいただく4,000〜7,000m級の山々がひしめくように並び、縁にその山々を飾りつけ佇む湖が点在し、なだらかな丘陵には遊牧民のユルタ(ゲルと同様の移動式住居)、そしてその周りにヤクや馬などがのんびりと暮らす、目を見開くほど美しく、時に神秘的でさえある光景が広がっている。
パミール高原のほとんどをその国土に有するタジキスタンは、1991年のソ連崩壊直後に勃発した内戦などのため、国自体の発展が遅れた。加えて、マイノリティであるパミール人の住むこのエリアに政府は十分な経済的サポートをしておらず、人々は最小限のインフラ環境で暮らす。
そのため、パミールの道路状況は著しく劣悪な上、交通網の組織化もされておらず、行き来が容易でない。21世紀になり世界では各地のアクセスが向上、いわゆる「秘境」といわれる場所が減っていくなか、未だ外界と隔絶される環境が、この地に秘境然とした姿をとどめさせ、故事どおりの桃源郷を作り上げている。
対岸にアフガニスタンを眺めるオフロードの旅
パミール高原の旅は、運転手付きの四駆を手配し、エリアを貫くように敷設された、ソ連時代は「M41」、現在では「パミール・ハイウェイ」という通称で知られる道路をなぞるかたちでまわるのが一般的。途中南へ迂回し、「ワハーン回廊」という、アフガニスタンとの国境地帯を訪れる人も多い。
ワハーン回廊の道路は未舗装の部分が多く、時に滑り落ちてしまうのではないかとハラハラするような狭く曲がりくねった崖を通ったりしながら、タジキスタンとアフガニスタンの間に国境として横たわるパンジ川沿いを走る。
パンジ川は幅を狭めたり広げたりしながら流れ、対岸のアフガニスタンがすぐ目の前に迫り、そこに暮らす人たちの様子が手に取るように眺められることも。アフガニスタン側でも、パミールでは他の地域とは隔絶された山岳地帯の農村生活を送っていることに変わりがないのが見てとれるものの、タジキスタンでは女性は髪も顔も隠すことなく男性と同じように教育を受けている人たちが少なくないのと違い、昔ながらの装束で農作業をするアフガニスタン女性などが目に入る。
雄大な自然、そして素朴で温かい村人たち
パミールには神社仏閣のような史跡は少なく、昔の城砦や寺の跡がわずかに残る程度。それでもこの地を訪れる人を惹きつけるのは、手付かずで残る雄大な自然と、点在する村々に住む、数少ない外国人来訪者を温かく迎える人たちだ。
中央アジアの人たちは一般的にそうと言えるが、素朴なパミールの人たちは他にも増して一層フレンドリーで、目が合えば、優しい笑顔で胸に手を当て「アッサラーム・アレイコム」とイスラム式に挨拶をし、「どこから来たのか。この村は気に入ったか」などと話しかけてくることも多い。
パミール高原での宿泊は、ほとんどが「ホームステイ」と言われる、家主の作る食事付きの民泊になる。「旅人を助けよ」という教えのあるイスラム教を信仰するホームステイの家主は客を心づくしのもてなしで迎えてくれ、心温まる宿泊体験ができるだろう。また、昔ながらの暮らしぶりを保つ村の生活が見えるのも興味深い。
また、日本人にとって嬉しいのは、ワハーン回廊には公共の温泉が2カ所あること。慣れない砂まみれの高地の旅の疲れを落とし、湯に浸かりリラックスするという共通の楽しみのために来たローカルの人たちと文字どおりの裸の付き合いができ、立ち寄れば特別な思い出となることは間違いない。
以前は招聘状などが必要で手続きが煩雑だったタジキスタンのビザだが、現在は招聘状は不要、さらにオンラインでの申請が可能となった。ほとんどの人がパミール旅行の起点または終点にする街オシュのある隣国キルギスも日本人はビザが不要となり、行きやすくなったため、今後パミールを訪れる旅行者が増える可能性がある。
また、タジキスタンは一帯一路に参加し、国境を接する中国との関係を深めており、中国がパミールに軍事基地を拡大させているのではと示唆する海外メディアもある。素朴な桃源郷が変わってしまう前に、彼の地を訪れるなら今がその時かも知れない。
(2019年8月中旬取材)
写真・文/ パーソン珠美
日英通訳、ライター。さまざまな業界での通訳や取材、5ヵ国の在住経験と40ヵ国を超える海外渡航歴、国際結婚、子育てなどから得た豊富な経験をもとに記事を執筆。海外書き人クラブ会員(http://www.kaigaikakibito.com/)。