文・写真/生方梨和(海外書き人クラブ/ブラジル在住ライター)
日本から遠く離れたブラジル・リオデジャネイロ。その中心街に観光客でひときわ賑わう「セラロン階段」がある。リオデジャネイロを訪れたことがある人なら、このカラフルなタイルが敷き詰められたフォトジェニックな光景を見に、一度は足を運んだのではないだろうか。
本来、観光スポットといえば、その国ならではの自然や、その都市の文化・歴史を象徴する建造物などに見物人が集まるものである。しかし、この「セラロン階段」はブラジル人がつくったものでもなければ、特別ブラジルを象徴するものでもない。そんな一見ブラジルとは何の繋がりもないように見える階段が、なぜリオデジャネイロ有数の観光名所となったのか。
今から30年ほど前、リオデジャネイロに住んでいたチリ出身の芸術家、ホルヘ・セラロン氏が自宅の前の階段を改修するため、そこにタイルを貼り始めた。このセラロン氏の趣味で始めたタイル装飾が20年という月日をかけて壮大な野外芸術作品となり、リオデジャネイロを代表するランドマークのひとつになったというのが、セラロン階段誕生のストーリーである。
チリ人の芸術家が趣味で始めたタイル装飾。一見ブラジルに何のゆかりもないこのアートワークがブラジル国内外の人々を魅了し続けてきたのはなぜだろうか。
ひとつは、それが「タイル芸術」であるということだ。普段お風呂や台所に使われている建築材料としてのタイルに慣れ親しんでいる我々日本人にとっては、タイルをアートと紐づけることはなかなか難しい。しかし、スペインをはじめとするラテン民族にとって「タイル=美しい」もの。215段にもわたり色彩豊かなタイルが敷き詰められたその階段は、彼らにとって真の芸術作品であり、世界中から観光客が集まるモザイクアートへと発展したのだ。
またその高い芸術性に加え、タイル一枚一枚に込められたメッセージにも注目が集まる。セラロン氏はこの階段を20年にわたり装飾し続け、生涯「この作品は決して完成しない」と述べていた。彼が亡くなる2013年までいわば「未完成の作品」であったことも、訪れた人々の記憶に強く残っている理由であると考えられる。
セラロン氏が階段の改修を目的としてタイルを貼り始めた当初、タイルのほとんどはリオデジャネイロの路上で見つかった、建設現場や廃棄物の山から拾い集められたものだった。その後、彼は生活費を払うことができないほどの貧困状態になったといわれているが、自身が描いた多くの絵画を売り、地元の人々や旅行者から寄付を受け取っては、階段の装飾を決してやめなかった。
彼の芸術家としてのこだわりと地道な努力が実り、やがてTimeなどの有名雑誌や、U2などの有名アーティストのミュージックビデオ撮影などにも使われ、セラロン階段は多くの人々の目に留まった。一人の貧しい芸術家が趣味で始めたこのタイル芸術は、リオデジャネイロの文化的なアイコンとして多くの人々を魅了することに成功したのだ。
後年、タイルのほとんどは世界中の訪問者から寄付されている。現在そのデザインを構成する 2,000 点以上の作品の中には、観光客や作品のファンから贈られた60 か国以上のタイルが含まれている。そこには日本の「阪神タイガース」のタイルもある。阪神優勝を祝し、熱烈な阪神ファンが地球の裏側に寄贈したものだろうか。タイル一枚一枚に注目しながら階段を上り、自国のタイルを見つけてはその歴史に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
なお、セラロン階段は海外からの観光客も多い有名スポットとはいえ、リオデジャネイロのラパ地区とサンタテレサ地区の間に位置し、周辺地域はファベーラ(スラム街)に近い治安の悪いエリアとなる。24時間365日訪問可能だが、観光するなら人通りの多い時間帯(土曜日や連休中の昼間)を選んでほしい。日曜日は周辺のお店が閉まり、辺り一帯が閑散とするため避けたほうが良い。夜間の一人歩きはもちろん、歩きスマホも厳禁だ。
セラロン階段(Escadaria Selarón)
R. Manuel Carneiro – Santa Teresa, Rio de Janeiro – RJ, 20241-120
https://riotur.rio/que_fazer/escadariaselaron/
文・写真/生方梨和(海外書き人クラブ/ブラジル在住ライター)
フリーライター。慶応義塾大学法学部法律学科卒。2022年よりブラジル・リオデジャネイロに滞在。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。