文・写真/パーリーメイ(海外書き人クラブ/欧州在住ライター)

地中海海域のひとつ、アドリア海に突き出たイストラ(イタリア語でイストリア)半島の南端、クロアチア北西部にある「プーラ(Pula)」はイストラ郡最大の都市だ。ほかのアドリア海沿岸部の町同様、対岸に位置するイタリアからの支配が長く、第2次世界大戦で1943年にドイツ軍に侵攻されるまでは、人口の大多数をイタリア人が占めていた。

軍港、貿易港として栄え、バカンス先としても人気のプーラにある円形闘技場前のマリーナ。

しかしその後、1947年にユーゴスラビアへ併合されるまでの間に、迫害を受けたイストリア系イタリア人は「町を空っぽにした」というほど大勢がプーラを去った。これをアドリア海沿岸地域一帯のダルマチア地方と併せて「イストリア・ダルマチア難民の集団脱出(Istrian-Dalmatian exodus)」という。難民のなかにはスロベニア、クロアチア、イストロ系ルーマニア人なども含まれていた。

イタリア降伏前のムッソリーニ、ファシスト政権下においては、特にクロアチア系住民が政治的、文化的な抑圧と言葉の壁に悩み、同地を去る人が出たため“お鉢が回ってきた”ともいえる。しかし市民に罪はなく、住み慣れた土地を追われることになった彼らの苦悩は想像に難くない。彼らはそのとき、どこへ、どのようにして逃れたのか。

古代ローマ・中世時代は町全体が壁に囲まれていたプーラ。約10か所あった町へ入る門のうち、ふたつのアーチを持つことから「双子門」とも呼ばれるこちらは2〜3世紀に建てられたもの。
(The Pula Twin Gate: Carrarina ul. 8, 52100, Pula, Croatia)

そう遠くはない昔、このイストリア地方を命からがら脱出した、とあるイタリア人一家の軌跡と、脱出の舞台となったプーラのいまを紹介する。

“プーラの顔”、世界で6番目に大きいローマ式円形闘技場「アリーナ」

ローマ帝国の巨大な“置き土産”ともいえる、通称「アリーナ」は本家ローマのコロッセオとおおよそ同時期に作られた、2000年以上も前の円形闘技場だ。

当時は23000人の観客を収容し、剣闘士や猛獣との戦いを売りにしていたが、現在にいたっても動員可能人数は5000人、映画祭や各種コンサート、オペラにバレエの上映、競技場としても稼働している。

イタリア人が残した文化遺産とクロアチアの日常が溶け込んだ、なんとものどかで、ぜいたくなひとこま。

周囲にあるカフェの屋外席では、朝から地元住民たちが集う。現存するローマ式の円形闘技場としては世界で唯一の、外壁がほぼ完全な形で残されたアリーナの勇姿を見やりながら談笑しているのだ。

ポーラで花開いたイタリア系パン屋

時を遡ること1世紀弱、プーラがまだイタリアの支配下にあり「ポーラ」と呼ばれていた1930年の頃。同地の近郊、ファサナでパン屋を開き、その後ポーラにも店を構えた、とあるイストリア系イタリア人の一家があった。ドメニコ・タンブリンさんはふたりの息子、フェルディナンドさんとマリーノさんとともに、これら2店舗を15年以上営むことになる。

フォルム(広場)に建つプーラ市庁舎と、左は紀元前後に建てられたアウグストゥス神殿。すぐ近くにある観光局では、各種パンフレットや地図を無料で入手できる。
(The City Hall Building: Forum 1, 52100, Pula)

事業は順調に伸び、これに気をよくした息子たちはポーラの広場にも新たに出店しようとしていたが、フェルディナンドさんの妻であるリナさんが懸念を示したため断念。

まさかこの決断がのちに一家を救うことになるとは、そのときはまだ誰も知る由もなかった。

戦争に翻弄される住民たち

1939年に始まった第2次世界大戦で、日本とドイツとともに枢軸国として参戦していたイタリアの旗色は悪くなる一方だった。結果、冒頭で記述したように1943年の降伏以降、1954年までの間にイストリアとダルマチア地方から逃れる、主にイタリア系住民による大量脱出が4度起きた。

第1陣は1943年に連合国より爆撃を受けたダルマチア沿岸の町で、それに続くのが1945年にユーゴスラビア軍に占拠された、イストラ半島東部の港湾都市、リエカだ。

この頃には同軍による、主にイタリア系住民の大虐殺「フォイベ(Foibe)」がまかり通り、1946年から翌年までの間に第3陣となるポーラからの脱出が始まった。

現在の、平和で穏やかなプーラの海から過去の惨事を想像するのは難しい。

同年8月18日にはポーラの海岸を、さらなる悲劇が襲った。ヴェルガローラで催されていたボートレース中に、ユーゴスラビアのチトー社会主義の支持者によると思われる、地雷爆破テロが起きたのだ。

「焼き窯さえあれば」。身ひとつで故郷を脱出した一族

タンブリン家のフェルディナンドさんはこの日、いつもの週末と同じように子どもたちと海水浴を楽しむ予定だったが、たまたま急用ができ、すんでのところでこの危機を免れた。しかし、このあまりの衝撃的な事件は一族でポーラを去る直接の原因となる。

ヴェルガローラ爆破テロ犠牲者を追悼するミサが、毎年のように開かれるプーラ大聖堂。
(The Pula Cathedral: Trg Svetog Tome 2, 52100, Pula)

その後フェルディナンドさんは、兄のマリーノさんと手分けして大切な商売道具であるパン焼き窯を解体し、密かにイストラ半島近くのイタリア、モンファルコーネにトラック輸送させた。「もう逃げるのはまっぴらだ」と、チトー政権の監視が届かない安全な土地を選び、着々と脱出の準備に励んだ。

こうして爆破テロの翌年、1947年には「窯さえあれば、どこの地でも生きていける」と、わずかな手荷物とともに一族でイタリアを目指した。無事到着した新天地では、ポーラの広場で追加投資しなかったことが幸いし、その資金で新たに家とカフェを購入できたのだった。

解体前のパン焼き窯の前で作業するフェルディナンドさん。ポーラにて。
写真提供:Lijuba Lo Bello

こうして再び開かれたタンブリン一家のパン屋は「タンブリン・ペストリー/Tamburin Pasticceria(https://tamburinpasticceria.it)」の名で、菓子店としても繁盛した。孫のドメニコさん(初代と同名)とフランカさんに引き継がれた際は、イギリスのチャールズ皇太子(現国王)のイタリア訪問時に、ケーキを提供するほど地元の名店に育った。

現在4代目であるひ孫のグレタさんとゲリーノさんも先代同様、一族の伝統と熱意を引き継ぎ、いまではイストラ半島のとき同様、モンファルコーネで2店舗を経営している。

ちなみに集団脱出最後の第4陣は、1954年にロンドンで、イタリアとユーゴスラビアの間で交わされた合意文書のあとである。

一致団結、引き継がれる家族の絆

このタンブリン一族の話を伝えてくれたのは、当時イタリア領のイストリア地方で「国連管理下の自由地域」として、唯一ユーゴスラビア化を免れた現イタリア、トリエステ出身のリューバ・ロ・ベロ(46)さんだ。

息子と写るリューバさん。トリエステにて。写真提供:Lijuba Lo Bello

トリエステはモンファルコーネから車で30分ほどの港町で、祖母のレナータさんはドメニコさんのひとり娘である。戦時中に海軍兵だった祖父とファサナで出会い、ほかの家族よりも先に脱出、のちにモンファルコーネでタンブリン一族と合流した。

記念公園内にひっそりとたたずむ、ヴェルガローラの慰霊碑。右横には、自身の子供を失いながらも負傷者の手当てを続けた英雄、ミケレッティ医師の顔写真つき石碑もある。
(Vergarola Memorial Park: Kandlerova ul. 30, 52100, Pula)

ヴェルガローラの事件が不都合なものとして黙殺されがちなように、戦争世代の人たちは、当時のことに関して口をつぐむことが多い。リューバさんは早くに亡くなった祖父からも、過去については一切話を聞いたことがなかったという。

そのため最近になって突然、親戚から一族の集団脱出にまつわる話を聞かされたときは驚いたそうだ。「過酷な状況にあってもお互い力を合わせて働き、事業を育てた一族は幸運に恵まれたが、これは家族の絆によるところが大きい」と、リューバさんは語る。

イストリア難民脱出が終わったあとのプーラはイタリアとの往来も自由になり、現在では古代と現代の光景が交錯する、見どころあふれる魅力的な観光地となっている。プーラへは首都ザグレブから飛行機(ザダル経由で2時間弱、復路は直行で40分)などで向かうほか、トリエステからバス(約2時間)でイストラ半島の景色を楽しみながら行くことも可能だ。

ライトアップされたアリーナ。
(The Arena Pula Amphitheatre: Flavijevska ul., 52100, Pula)

迫力満点の円形闘技場「アリーナ」や随所に散らばる古代遺跡を訪れ、複雑に絡み合った歴史の声に耳を傾ける旅はいかがだろう。

プーラ観光事務所「Tourism Office Pula」:https://www.pulainfo.hr

文・写真/パーリーメイ(欧州在住ライター)
2017年よりロンドン郊外在住。ヨーロッパの観光情報を中心にイギリスの文化、食、酒などについて執筆。ほか英生活コラムの連載、ラジオ出演など幅広く活動している。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。  

 


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