不誠実な男女関係を続けた結果、大怪我を負う
20代のうちに、あぶく銭を掴めば、いい気になる。近づいてくる女性たちと不誠実な恋愛もしたし、顔から火が出るような傲慢な態度をとったという。
「仕事も適当でした。ノリで仕事が取れるから、本腰など入れない。なんでも表面だけさらうという、ひどい20代を過ごしました」
しかし、29歳のときバブルは崩壊。30歳のときに勤務していた、不動産会社であり営業代行もしていた会社も無くなった。社長が金を持ち逃げしたのだ。
「詐欺みたいなものづくりをしていたから、いつかは潰れると思っていた。すると、うちがチラシをお願いしていた印刷会社の社長から“営業に入ってくれ”と言われて、すぐに転職できました。これは僕の愛想の良さを評価してくれたんでしょうね。両親は商売をしていたから、誰でも愛想をよくしていた。僕は商売の勘所を学んでいたんでしょう」
啓一さんには学歴というブランドもある。
「印刷会社の3年目のときに、全国紙を展開する新聞社から声がかかり、嘱託社員のような形で籍を置くことに。これは愛嬌を買われてのことでしたが、学歴も大きかった。この2つを持っている人は、意外と少ない。学歴というプライドがあると、愛嬌は薄くなりますからね」
誰もが知る新聞社の名刺と金を持っている啓一さんは、女性からモテ続けたという。
「全身から“結婚したい”というオーラを漂わせている人ばかりでした。家に押しかけて、肉じゃがを作ったり、エプロンやパジャマを家に置かれたり。でも、自由でいたいという気持ちが強かった。当時、結婚したら男は定職について、妻子を養い郊外に庭付き一戸建てやマンションを購入“しなければならない”という空気が強かった。それに徹底的に反抗したかったんでしょうね」
複数の女性と同時進行したが、5年間交際を続けた3歳年下の女性のことは今でも覚えているという。
「彼女は僕が“いつか改心する”と信じていた。僕の38歳の誕生日に、彼女がマンションに遊びにきた。何かのきっかけで彼女を怒らせてしまったんです。その瞬間、スパゲティを茹でてグラグラしている鍋ごと僕に投げてきて、逃げきれなかった僕はスネに大火傷を負った。さらに彼女は“私の5年を返せ!”とさらに消火器を部屋にぶっ放したんです」
彼女とはそれ以来、音信不通。啓一さんのスネには、今もケロイド状の火傷の跡が残っている。
「彼女のことをSNSで検索したら、いいおばあちゃんになっていました。ホッとしましたが、悪いことをしたという後悔は消えません」
【過去の後悔の念に押しつぶされそうになった50代を経て、神社参拝を始める……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。