「体のラインが崩れるから、子供は産みたくない」
妻との新婚生活は始まった。結婚式はせず、入籍だけという式だったという。入籍の直前に、都内郊外にある和貴さんの実家に彼女を連れて行った。和貴さんは4人きょうだいで、三男坊の結婚について、両親は何も言わなかった。
「彼女の両親とは会えないとのことなので、僕の実家には連れて行ったんです。父は“両家の顔を合わせないと結婚を認められない”という姿勢でしたが、母親は終始朗らかだった。それから数日後、“あんた、あの子、大丈夫なの?”って連絡が。母は彼女の生々しい色気を指摘。さらに、僕の父に色目を使っていたことにカチンときたんだとか。僕も当時は若かったし、母を軽蔑する気持ちもあったので、反抗するような気持ちもあって、結婚しました」
実際に結婚生活が始まると、予想外の事態に直面することが多かった。妻の外泊、夜の外出、和貴さんの給料では買えない高価なバッグや服を持っていることなどだ。また、結婚1年もしないうちに、妻は家事を放棄。きれい好きの和貴さんが家事全般を担っていた。
「いちばん応えたのは、“子供は産みたくない”と宣言されたこと。うちの会社は、きちんと子供を作って、真っ当な教育を受けさせていることも暗黙のうちに評価の対象になっていたんですよ。だから、結婚したらさっさと子供を作って、名門小学校に入れなくてはならない。それなのになかなかできないので、病院に行こうと提案したら、避妊リングを入れているという。理由を聞くと“体のラインが崩れるから、子供は産みたくない”と」
激怒した和貴さんは、妻にありったけの疑問をぶつけた。なぜ親と会えないのか、高価なものを持っているか、広尾の家に外泊をするのかなど。妻は体も大きく迫力がある和貴さんに強い口調で言われ続けたことに観念したのか、真実をやっと話した。
「高校を卒業してから、夜の仕事に就き、50代の男性の愛人になってから、娘のように愛されたと告白したんです。男性が、“あなたもいずれ結婚する。それなら家柄が良くないとね”と、寺の娘というシチュエーションを彼女に教えた。そしてそれを忠実に実行し、引っかかったのが僕だと。広尾のマンションは男性の持ち物で、外泊をするのは彼に会っているからだって」
男性には妻子がいる。彼女に子供ができると、お家騒動の元となるので、避妊リングを入れられたと告白。
「僕との結婚を、男性が高笑いして眺めていたと思うと、腑が煮えくり返る。すぐに彼女を家から叩き出し、それから1年後の結婚2年目に離婚届を出しました。これで僕は完全に出世レースから外れた。そこで、実務の仕事に邁進することにしたんです。金融とITが融合する未来を想定し、自費で学び、提案していった。当時、そんなことを考えている人は全くいなかったので、イノベーティブだったと思いますよ。社長からもかわいがられましたが、それは非公式。個人的に仲がいいだけだったので、当然、役員にはなれません」
【仕事のほかに何もない人生だったから子供が欲しい……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。