「女が担当なら、この契約は破棄する」と言われたことも
利代子さんが妊娠した1988年は、男女雇用機会均等法もなく、会社に産休も育休もなかった。
「私も最初は一般職で入社し、制服を着てお茶くみをしていたのよ。でも“営業がしたい”って上司どころか役員にまで言い続け、2年目に営業部に異動。それまでの企画よりも、私の企画のほうが優れていたから、よくアイディアを盗まれていた。それにセクハラもすごかった。コピーを取っていたらお尻を触られるなんて日常茶飯事だった」
「女性には何をしてもいい」という空気は流れていた。給料も男性社員の半分程度で、2倍働いても認められなかった。
「私が初めて担当になったある会社から“女が担当なんて、オタクはずいぶんウチを軽く見ているんですね。女が担当なら、この契約は破棄する”と言われたり、目の前で名刺を破られたり……まあ、いろいろありましたが、女だからおいしいこともありましたよ」
容姿が整っていた利代子さんは、さまざまな接待に駆り出される。政府の要人やタレントと知り合い、交際に発展したこともあった。
「そのうちに、だんだん認められてきたころに、私を陰に日向にかばってくれた上司と男女の仲になり、娘を妊娠。ただ、激務過ぎて妊娠6か月(20週)まで気付かなかったの。とにかく酔いが早く回るので、おかしいと思って病院に行ったら、“妊娠じゃないの?”と言われてびっくり」
当時、利代子さんは美食が重なり、太っていた。「そろそろ痩せないと」と思っても、食欲が止まらない。交際していた上司からも「痩せないと、太りすぎだよ」と言われていたという。
「妊娠しているとわかったときに、“これはまずい”と思ったんです。これが娘に悪い影響を与えたんだと思う。命の誕生を母が知ったときに、“嬉しい”と思うか、“中絶できないか”と思うかって、大きいと思うんです。私がたまたま行った病院は、女性の医師だったので、私の置かれた状況をすぐに察してくれた。“中絶するなら、今しかないですよ”と言ってくれたんです」
現在、人工妊娠中絶手術は母体保護法が適応される場合は、妊娠22週未満(21週6日)まで。ただ、妊娠初期(12週未満)と、それ以降とでは手術方法が異なる。妊娠12週以降の中絶は、人工的に子宮を収縮させ、流産させる方法をとる。体の負担も大きいが、心の負担も大きい。自治体に死産届を提出し、胎児の埋葬許可証を受ける必要もある。
「それを聞いて、私にはできない、産もうと思ったんです。“もっと早くにわかれば、中絶できたのに”とも思いました」
【育児を母に丸投げしていたから、今娘の介護をしている……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。