母親も1人の人間だった
友人もおらず、孤独ともとれる暮らしについて、「快適だった」と振り返る。それが、両親の熟年離婚により変わることになった。
「家族3人で暮らしていたときはお互いが干渉し合わない関係だったので気が付かなかったのですが、両親はずっと前から不和だったみたいです。離婚したことについては特に驚かなかったのですが、実家は父方の祖父の持ち物だったので母親が出て行くことになって、母親から『家に行っていい?』と聞かれたときに一番ビックリしてしまいました。
嫌とは言えませんよね。とりあえず数日だけだと思っていたからOKしたんです。数日の我慢だと思ったから」
しかし、現在も歩美さんは母親と一緒に暮らしている。それにより、孤独だったことに気づけたという。
「今まで他愛もない話を母親と一切してこなかったんです。母親がいつも何を感じて、どう生きているのか、興味がなかった。でも、それは母親が私に興味がなかったから。一方通行を感じるのか嫌だったんだと思います。
一緒に暮らすようになって、色々話をすると、母親は何もしないという時間が苦痛で予定を入れるようにしていて、子どもとの自由な時間というものを作れなかったと言っていました。私もスケジュールが決まっているほうが心地よいと感じるから、なんだ、この人と私は似てるんだって思って。
お互いに意見を曲げずに言い合いになることもあるけれど、言い合いできる関係の人ができたことで今まで寂しかったんだなって思いにも気づけましたね」
現在の歩美さんの自宅は元実家から離れた距離にある東京郊外の2LDKのマンション。1人の空間を維持することで母親との暮らしを続けていけているという。出勤再開によってできたストレスは、母親との会話で消化している。母親との会話は土曜日の午前中に設定されている。これは歩美さんと母親2人で作った家のルール。2人は「お互いが自分のルールを強いることもあるけれど、反論できる関係」とのこと。子どもが大人になり、親と対等な関係になってから作れる関係もあることを今回の取材で実感することができた。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。