取材・文/ふじのあやこ

時代の移り変わりとともに、変化していく家族のかたち。幼少期の家族との関係を振り返り、自身も家族(パートナー)を持つようになったからこそわかるようになった思いを語ってもらいます。
【~その1~はコチラ

今回お話を伺ったのは、都内にあるWebコンテンツを作成している企業で企画の仕事をしている康則さん(仮名・42歳)。康則さんは京都府出身で、両親と2歳上に姉のいる4人家族。「やればできる」という康則さんの可能性を信じ続ける父親の下、高校で猛勉強をして有名大学へ無事進学。大学進学に伴い、得たものは達成感と後悔でした。

「一緒に暮らしていたのに両親の不仲にはまったく気づかなくて、自分は何を見ていたんですかね……。両親の離婚は私の大学進学を待っていたようでした。離婚理由はどちらからも詳しくは聞いていません。2人が選んだことで、追求する気にもなれませんでした。18歳はもう大人だからと離婚を選択した両親に対して子どもみたいに振る舞うことはしたくなかったから。当時は私のために18歳まで一緒にいてくれたんだとは思えませんでしたね」

「自分が間違ったのは結婚のみ」。父親の固まった価値観が離婚、息子の就職で明るみに

父親との2人暮らしになってからも、父親は普段通り。母親のことは一切口にしない代わりに自分のことを卑下することが増えたと言います。

「高校の時から食事の時間は別々で、出来合いのものが置いてあることも多かったので、特に大きな変化はなかったんです。出ていく前には母親は働きに出ていたこともあって、食事は姉がいなくなってからはみんなおざなりだったんですよね。

母親とは連絡を取っていたし、私よりも姉と密に連絡を取っているようだったのでそこまで心配はしていません。父親も普段通りではあったんですが、酔っ払ってもけっこうポジティブな言葉を口にするタイプだったのに、『自分のようにはなってはいけない』みたいなことを言うようになりました。離婚のことを後悔というより、母親と結婚したことを否定しているような感じに聞こえて、あまり気分がいいものではなかったです」

大学を卒業して、東京にある企業に就職することに。父親は東京に行ってしまうことよりもあることがひっかかっているようだったとか。

「就職先は希望したところではなく、拾ってくれたところという感じでした。特にやりたい仕事も見つからずに有名企業を受けてばっかりいた結果ですかね。それでも仕事内容も給料面も決して悪いものではなく、東京の企業というところも華があっていいなって思っていたんです。でも、父親は私の就職先を調べていて、転職ありきの就職であるようなことを言ってきました。もちろん就職をやめろとまでは言いませんでしたが、どこか納得していない感じに見えましたね。その時は自分がいい会社に勤めているからそんな固まった考えがあるんだなって、父親のことを少し残念に思っていましたね。自分が同じように会社の名前だけで就職活動をしていたことを棚に上げて」

【子どもにどこまで期待していいのか。次ページに続きます】

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