祖母の介護が終わり、母親の世話が始まった
優紀さんは短大を卒業後に地元の企業に就職をしますが、1年半で退職することに。その理由は母親が糖尿病を患い、その少し前に祖母が体調を崩して介護が必要になったから。
「私が働き出したことにより、母親がパートを辞めて、祖母の世話をするようになっていたのですが、そんな母親が糖尿病になってしまい、慢性的なだるさや手足のしびれなどがあって、祖母の世話をできなくなったんです。同じくらいのタイミングで父が亡くなり、遺産の受取人が私たち子どもになっていたので、ある程度生活に困らない金額を受け取ることができたこともあって、私は仕事を辞めました。祖母の世話に加え、母親の食事の管理なども行いたかったからです」
祖母は要介護認定を受けて、訪問介護やデイサービスを利用しながら、完全同居を始めて8年で他界。そこから優紀さんは働き始めるが、再就職は難しく、派遣で事務の仕事をしながら、週に数回、居酒屋の仕込みのアルバイトをしていた。
「4年くらい仕事にブランクがあると、再就職が厳しくて……。最初の就職先を1年半で辞めたこと、何の資格も持っていないことも影響していると思います。実家暮らしなので派遣の仕事だけでも生活できたのですが、母親の小言を聞く時間を減らしたくて、居酒屋で仕込みのアルバイトをしていました。でも、仕込みのバイトはコロナ禍でなくなってしまったんですけどね」
優紀さんは一人暮らしを一度もしたことがないまま、今も実家暮らしを続けている。2019年には20代女性が1人で介護していた祖母を殺害する事件が兵庫県で起こったこともある、ヤングケアラー問題。優紀さんにそこまで追い詰められている様子は伺えなかったが、本心はわからない。優紀さんは「自分の家族のことを外部の人に相談するという考えがそもそもなかった」という。国や自治体は支援策を打ち出しているが、当人の耳にはまだ届いていない状況だ。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。