親の悪口を遠慮なく言い合える、同志と結婚
現在の夫と知り合ったのは、当時都内で頻繁に開催されていた街コン。ちゃんとした出会いを求めているというよりも、気軽に楽しく飲みたいという気持ちだったという。夫とは友人として関係がスタートするも、1か月ほどで付き合うことになり、25歳から8年間の期間を経て、結婚に至った。
「振り返ると、最初から異性としては見ていました。でも、ドキドキというよりも、話しやすいとか、一緒にいて落ち着くという感じでした。当時の夫は話し上手というよりも、聞き上手。私の話を『うん、うん』という相槌だけだけど、最後までずっと目を見て聞いてくれる人でした。私の話を聞いてくれる人というのは、私の中で本当に貴重な存在だったんです」
2人には「お互いが親との関係が希薄」という共通点があった。
「夫は小さい頃の記憶として、『泣いていても、理由を聞かずにうるさいと言ってきた』、『学校の話をしても、今忙しいと真顔で言ってくるような人たちだった』と私に話してくれました。
この人なら、昔の自分の話をしても同情されることもないと思えました。このときに、やっと“自分は愛されていない子どもだった”と受け入れることができたのかもしれません」
お互いの親には結婚の報告だけで、結婚式も行わず。それぞれの親から一言ずつお祝いの言葉をもらっただけで終了したという。
「『良かった』と『おめでとう』だけです。まぁそうだろうと思っていましたけど、『ちゃんと紹介しなさい』とかはなかったですね。どこかで期待していたのか、会おうと言われなかったことに2人で顔を合わせて苦笑いしました」
夫は2歳上で、子どもを作るのであればゆっくりはしていられない年齢だったが、2人は自然に任せようということに。「親になる自信がそこまでなかった」と寛子さんは振り返るが、それでも結婚して2年後に子どもを授かったときは嬉しくてたまらなかったという。
「妊娠して、悪阻が酷くて仕事を休みがちになってしまい、その結果、退職しました。それが、モラハラ夫が完成するカウントダウンだった気がします」
不安定になっていく妻に対して、普段通りを求めた夫。聞き上手な夫はどうやってモラハラ夫へ変化したのか。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。