パートに行く足取りは重くなっていった

あるとき、新しい総菜が入って来た。盛り付けるパックと個数を素子さんから指示された。つめ終わったところで、総菜売り場のチーフから「それ、違うよ」と指摘された。1回目はやり直しできる食材だったけれど、再び同じことが起こった。

「ほかにも、素子さんから指示された内容が間違っていることが多かったんです。私は素子さんのミスだと思いましたが、素子さんは職場の唯一の味方です。だから素直に謝っていました」

そもそも、由美さんは言い訳や反論が「できない」。なぜなら、35年間の専業主婦生活で、言い訳や反論を封印していたからだ。その背景には、議論好きな夫から文句を言われて、自己弁明をすると、さらに事態が悪化し、嫌な思いをすることを熟知していたから。

「それから2か月くらいでしょうか。クビにならない程度に、私のミスが増えていった。時間との戦いの中でミスをして、みんなの足を引っ張っている。“私ってダメだな”と思い続けていると、家事でも失敗するんです。夫に生焼けの鶏肉を出してしまい、“まずい”と激怒されました。“生の鶏肉は食中毒になる。オマエのスーパーの総菜を食べるのは命がけだ”と言われたときは、心のどこかが壊れた気がしたんです」

そこから、由美さんは出勤がつらくなっていった。

「朝からだるいし、耳鳴りがする。眠れなくなって、食欲もなくなりました。娘に相談すると、“それ、病気だよ。心療内科に行きなよ”と言われたんです」

下された診断は適応障害。心を病む由美さんに対して、夫は「だから言った通りだろう。オマエみたいな世間知らずのどんくさいバアさんに仕事は無理だ。すぐ辞めろ」などと徹底的にバカにした。

「家にも居場所がなくなったんです。パートは辞めることにしましたが、人手不足だそうで、辞めることに対しても文句を言われました」

社会は“労働対価を払う者の望み通りに動く人”には優しいが、それができない人には厳しい。

「仕事を辞めても、素子さんからは労りのLINEが来ていました。ありがたいなと思っていたんですよね。ある日、たまたま主人と出かけた日に、駅で素子さんとバッタリ会ったんです。電車を待っている間、素子さんはウチの主人にいろいろ話しかけてきたんです」

夫は素子さんのように、あけすけに語るフレンドリーな女性と距離を置く。その壁を鈍感なふりして乗り越えてきた。

そして、素子さんは「奥さんに優しくしなさいよ」とか「家事をしないと奥さんに捨てられちゃうわよ」など、夫が言われたくないことをズケズケと話していく。

「主人が“どういうことですか?”と言うと、素子さんは私が言った主人の悪口を、いいように脚色して言うんです。主人の顔色が変わっていくのがわかり、怖かったです」

それ以降、ぎりぎりのバランスで保っていた夫婦関係は悪くなった。

「あるとき、コンビニでパートの同僚に会ったんです。その人は、グループにも加わらず、いるんだかいないんだかわからない人なんですが、“あなた、素子さんに目をつけられたのよ”と教えてくれたんです。私の前にも同じような人がいて、その人も仕事ができる人で、子供の受験が始まって、土日にシフトに入れなくなってから、徹底的にいじめられたと。そのやり方は私と同じだったそうです。これは勉強になりました」

由美さんはその後、「仕事ができなかったのは、私のせいではなかった」と理解し、不調は回復していったという。

素子さんのように、笑顔で攻撃するような人は意外とおり、人間関係に慣れていない人は、たやすく巻き込まれる傾向もある。また、年齢を重ねてからの環境の変化は、心身の不調をもたらすこともある。人は多層的で多面的であることを知りながら、人と接することが大切なのだ。

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。

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