取材・文/大津恭子
定年退職を間近に控えた世代、リタイア後の新生活を始めた世代の夫婦が直面する、環境や生活リズムの変化。ライフスタイルが変わると、どんな問題が起こるのか。また、夫婦の距離感やバランスをどのように保ち、過ごしているのかを語ってもらいます。
[お話を伺った人]
夫:篠塚正さん(仮名・65歳)。長年エネルギー系の会社に勤務。昨年再雇用の契約を終了し、現在はほぼ毎日スポーツジムに通い、体力維持に努めている。
妻:篠塚まりこさん(仮名・59歳)。専業主婦。子育てが一段落した頃からジムに通い続け、15年経つ。ジム通いの主たる目的はストレス発散。
【~その1~はコチラ】
誰とも会話ができない男と、名も知らぬ仲間とおしゃべりを楽しむ女
「入会するのはかまわないが、ジムでは声をかけないでほしい」と妻に念を押され、スポーツジムに通い始めた正さん。しかし、早々に妻からダメ出しをくらった。
「スタジオの前で待ち伏せしてて、『ドリンクどこ?』って聞いてきたんですよ! 家を出る前に用意しておいたのに、どうして自分で持ってこないのか、もう頭にきちゃって。子どもじゃないんだから、喉が渇いたら冷水機の水を飲むなり、自動販売機で買うなり、勝手にやればいいじゃないですか。あれほど注意したのに、よりにもよって『ドリンクどこ?』ですよ。夫婦感丸出しじゃないですか」(まりこさん)
「いやぁ、あのときこの人がね、『あちらに売ってますよ』って、にっこりしながら教えてくれたの。……怖かったですよ(笑)」(正さん)
「ね? 嫌でしょう? 喉渇いたなぁと思いながら、ずっと私を待ってたのかと思うと、本当にがっかりですよ」(まりこさん)
“夫は外で働き、妻は家庭を守る”というスタイルが当然だった世代では、自分の下着がどこにしまってあるかもわからないような亭主がいても不思議ではない。しかし、組織の中だけで突っ走ってきた人ほど、組織の枠が外れた途端にアイデンティティを見失い、戸惑う人が少なくない。妻や家族もまた、スーツを脱いだ後の主の姿を目の当たりにし、愕然とするのだ。
背後霊と呼ばれるNさんも、一流企業のエリートサラリーマンだったそうだ。単身での海外駐在も経験し、退職寸前の肩書きは関連会社の社長。ところがリタイア後、ちょっとしたミッドライフ・クライシスになってしまい、見かねた奥さんがジム通いに誘った――という経緯があった。
「毎日のように行けば、顔見知りもできて会員同士で挨拶することもありますよ。でも、男同士だと会話が続かないんです。だから、マシーンで黙々とトレーニングしている男が多いんじゃないかな? 誰とも目を合わせないようにしている人もいますよ」(正さん)
「女性は反対。長いこと仲良くしているけど、何をしている人か知らない、名前すら知らない、なんてことはザラ。みんな、お風呂やサウナの中で見ず知らずの人とその日限りのバカ話をしてますよ」(まりこさん)
まりこさんはこれまで、親の介護について、息子の嫁について、更年期障害について……など、夫に相談しても解決しないことや、親きょうだいには話しづらいことなどは、“名も知らぬジムの友人”にこぼすことで、ときには慰められ、ときには救われてきた。
「ジムから帰るときには、すっきりした気持ちになれるんですよ。そうやって何年も過ごしてきたんだから、ジムで亭主からストレスもらうのだけは勘弁してください、って話ですよ」(まりこさん)
【夫婦だと気づいても気づかないふりをするのがマナー。次ページに続きます】