せめて、手紙を残してほしかった
「妻と結婚してから、『過去を振り返らない、今しか見ない』という彼女の生き方に感化された。夫婦って、思いが強い方に引きずられるんです。終わったことを後悔してもしょうがない。だから手術の成功を祈り、元の生活に戻れるように全力を尽くそうと思ったんです」
手術は6時間もかかったが、経験豊富な外科医が執刀し、手術は成功した。
「手術後1週間で、本来なら入院していなければならないのに、妻が『家に帰る』と言い張ったので、自宅に帰りました。あのときの妻の嬉しそうな顔はなかった。私に料理を作ろうとするんだけど、体力が落ちて立っていられない。休んでいろと言うと『人間は動くことでエネルギーが生み出されるのだ』と、バカボンのパパみたいなおどけた口調で言う。私も仕事を休んだり、時短勤務をしたりして、妻と一緒にいる時間を1秒でも多く作ろうとしていました」
それから、入退院を繰り返すうちに、がんは全身を蝕んでいき、徐々に病状が悪化。最後の10日間は終末医療センターで過ごした。
「同僚や友達、臨月近くの娘夫婦が来て、好きな音楽を聴いてのんびり過ごしました。娘が帰った後、『私、28歳で母になって、56歳でおばあちゃんになる予定だったのに。これからあなたと一緒に過ごすはずだったのにね』と泣いたんです。それが意識があった最後の瞬間。翌日から昏睡状態になり、あっという間にあの世へ行ってしまった」
奥様は「貯金は、全額を娘にあげてね」とメモを残していたのみ。則夫さんには何のメッセージも残さなかった。
「私に手紙が欲しかった。『ありがとう』でも『バカヤロウ』でもなんでもいいよ。でも、そんなことをしたら、妻の死後、私が前を向けないと思ったんでしょうね。愛の言葉や料理のレシピを残されたら、私はいつまでも思い出にすがっていた。妻の納骨が終わった後、ホントに自分の内臓が裂けて、血が流れているような悲しみがあり、妻がいつも座っていたソファに顔をうずめて、おいおい泣きました。今ではもう消えてしまいましたが、そこには妻の匂いとぬくもりがあったんです」
それから、家の中で奥様の気配を感じることがしばしばあった。その機会が増えるように、毎晩、遺影に向かって晩酌をしているという。
「亡くなってから1年間は、写真を見るだけで泣いていたけれど、時間が経つにつれて、落ち着いてくるものだね。娘がよく孫を連れて様子を見に来るんだけど、ちゃかしたように『ジイジ、キモっ』って言うんですよ(笑)。声も口調も妻に似ているけれど、妻ではない。たぶん、一生、妻の面影を引きずって生きていくでしょう。昔誰かが、『オシドリ夫婦は、どっちかが早死にする』と言っていたけれど、ホントにそうなんだな、と思います」
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(小学館新書)がある。