取材・文/ふじのあやこ
家族の中には、血縁のない『義(理の)家族』という間柄がある。結婚相手の親族関係を指すことが一般的だが、離婚件数が増える現在では、親の再婚相手や、再婚相手の連れ子など、家族の関係は複雑化している。血のつながりがないからこそ生じる問題、そして新たに生まれるものも存在する。義家族との関係を実際に持つようになった当事者にインタビューして、そのときに感じた率直な思いを語ってもらう。
今回お話を伺った、明子さん(仮名・42歳)は、32歳のときにお見合いで今の旦那さまと出会い、現在は兵庫県内で子どもと三人で暮らしています。明子さんはお見合い婚をしたことを恥じてはいないものの、義両親の言葉で傷つくことも多いのだとか。
「義両親は私のことではなく、夫を否定する言葉をよく口にします。そのことで私も一緒に非難されているような気持ちになってしまって……」
私の家には嫁姑の不仲ではなく、両親の不仲があった
明子さんは兵庫県出身で、両親と4歳下に妹のいる4人家族。父方の祖父母とは小さい頃から同居しており、母親と義母は最期まで仲良しだったと言います。
「父親は仕事人間で、長男だからと祖父母を引き取ったのに、家のことは何もしませんでした。母親は、祖父母が元気だったときはパートなどをしていましたが、介護が必要になってからはずっと家で忙しく働いていましたね。
祖母と母はずっと仲良しで、揉めているところも、私たち子どもに愚痴を言っている姿も見たことはありませんでした。だから、巷で聞くような嫁姑関係の不仲は私の家になかった。まぁお互い我慢していただけかもしれないけど(苦笑)」
祖父母と母親の関係は良好だったようですが、両親の仲は冷え切っていたそう。
「祖父母が居たので、大きなケンカこそしないものの、夫婦の会話というのをあまり見たことがありません。父親は物を頼むときに『しょうゆ』とか単語で頼むタイプで、それに対して、家族の誰かが返事もせずに持ってくるというような感じでした。祖父母も、父親とはあまり会話はしていなかったような気がします。
祖父は元々体が悪くて入退院をよくしていたんですが、検査で入院したときに急に容態が悪化してそのまま亡くなってしまい、祖母は足を悪くしてから2年ほど寝たきりになって自宅介護をしていたんですが、最後は肺炎を患って亡くなってしまいました。祖父は私が高校生のときに、祖母は25歳のときでした」
【「こんな子をもらってくれてありがとう」と義両親は言った。次ページに続きます】