子供を持ったことでわかった、当時の母親の辛い気持ち
恭平さんは就職を機に家を出て、25歳の時に転職で上京。姉もすでに結婚して家を出ていたこともあり、父親は長い間一人暮らしをしているそう。心配などはなかったのでしょうか。
「就職が決まった時に一人暮らしをしろと言ってきたのは父なんです。就職は大阪だったので家を出たい思いも正直ありました。でも、姉も嫁いだ後だったからいいのかなと迷っていたこともあり、父の言葉はありがたかったです。まぁまだ父も元気だったし、姉は実家から数駅のところに住んでいたから心配ないかなと。こういう時って男は深く考えることができないんですよね……。今なら当時父親は寂しかったんじゃないかと思うところもあるんですが……」
30歳を過ぎて恭平さんは結婚。子供を授かったことで当時とは違う両親への気持ちが湧いてきたと言います。
「ありきたりなんですが、やっぱり感謝しています。両親の離婚当時は高校生だったけど、それでも子供と離れことは辛かったと思うんですよ。今親になって、この子たちと明日から会えなくなるなんて考えられないから。
でも、当時の母親にはそれ以上に辛いことだったんですよね、無関心な父親との生活が。今はお盆やお正月くらいしか相手のご両親とは会わないけど、少しだけ窮屈を感じる瞬間もあります。今の一時的なものでそれなのに、母親は本当によくやっていたなと。父親のことを半面教師に、嫁にはできるだけ家のことを手伝うようにしています。できる限り、子供のためにやっぱり離婚は避けたいですから。子供の頃に親の離婚を経験しているとさらにその思いは強いですね」
恭平さん家族は正月には3つの場所に帰省しているそう。「年末は嫁の実家に、年始は京都の実家にいる父に会いに、そして最後は岐阜にいる母親に家族4人で会いに行っています。お互い再婚をしていないから一緒にいてくれるほうが安心できるんですけど、老後はどちらも穏やかに暮らしてほしいだけです」と語ります。両親の離婚を経験したことで、恭平さんは離婚を選ばなければいけない場面に直面しないため、家族を大切にしたい思いが強いように感じました。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。