母子 水入らずの帰り道、日常は突然奪われた
クラスの中では決して目立つタイプの存在ではなかった。しかし、勉強が苦手な友人らに対して、嫌な顔ひとつせず親切に教える、誰とでも分け隔てなく親切に接する……などの姿勢から、クラスメイトの間で、静かでありながら確かな信頼を集めていた。
母と息子は、週に1度、一緒に銭湯に出かけることを習慣にしていた。仕事や受験勉強で、お互いに知らず知らずのうちに心身を磨り減らしているので、大きい湯船につかってゆっくりしようと、ふたりで決めていたのである。
パート帰りの母と、学校帰りの息子は、家の近くにある年季の入った銭湯で待ち合わせた。
夕焼けの美しい日だった。
母は残業で遅れ、息子が先に浴場へ入って疲れた身体を流し、母の到着を待っていた。
脱衣所横のロビーで、扇風機に当たりながら気持ちよさそうに座っている息子のそばへ、浴衣の母が笑顔で近寄ってきた。その姿を見て、息子は礼を言う。
「今日の弁当も、おいしかったよ。いつもありがとう」
ふたりはお互いに、学校や職場で見聞きした出来事について、笑い交じりに語り合った。他愛もない話も含まれた、風呂上がりの爽やかな雑談だった。お互いに、弱音や愚痴などを吐いたりすることはなかった。
銭湯を出る頃には、すっかり辺りが暗くなり、街の景色が闇の中へ溶けようとしていた。自転車が前方を照らすライトが、2つ連なって、仲睦まじく夜道を移動していく。
「ちょっと待って。コンビニに寄っていい?」
息子は自転車をこぎながら、大通りを挟んで向こう側に見える店舗を指さした。
「お母さん、アイス買ってくるからね。待ってて」
息子は自転車のハンドルを切り、ちょうど青信号になっていた横断歩道を渡っていく。
「お金持ってるの? わたしも行くから……」
次の瞬間、母の耳に鈍い衝突音が響いてきた。
かけがえのない日常が弾け飛び、むなしく壊れる音だった。
【後編につづきます】
取材・文/長嶺超輝(ながみね・まさき)
フリーランスライター、出版コンサルタント。1975年、長崎生まれ。九州大学法学部卒。大学時代の恩師に勧められて弁護士を目指すも、司法試験に7年連続で不合格を喫し、断念して上京。30万部超のベストセラーとなった『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)の刊行をきっかけに、記事連載や原稿の法律監修など、ライターとしての活動を本格的に行うようになる。裁判の傍聴取材は過去に3000件以上。一方で、全国で本を出したいと望む方々を、出版社の編集者と繋げる出版支援活動を精力的に続けている。