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■1:本名は講談からつけられた

童話作家で詩人の新美南吉(にいみなんきち)は、大正2年(1913)7月30日、愛知県半田町で誕生。父・渡辺多蔵と母・りゑの間の次男で、正八と名づけられた。

この正八という名は講談に由来する。父親が講談に登場する仙台藩の豪傑・梁川庄八(やながわしょうはち)が大好きだったのだ。それで、その「庄八」をもじって「正八」としたのだという。

この名は、最初は長男につけられたものだった。ところが、その長男が生後まもなく死亡。次男にも、同じ名を引き継がせたという恰好だった。

南吉(正八)が4歳の時に、母も亡くなった。その後、父が再婚。弟も生まれた。南吉はまもなく、実母の生家である新美家(おばあさんの家)へ養子に出される。1学期ほど養家から学校に通い、再び実家に戻った。一方で籍は戻されず、南吉は新美姓を名乗りつづけることになった。

どういう経緯で養子に出され、なぜすぐに戻ってきたのか、詳しい事情は不明だが、その生い立ちに宿る哀しみが、後年の南吉の創作にもなんらかの影響を及ぼしたことは、想像に難くない。

■2:継母に育てられた

幼くして実母を亡くした新美南吉(にいみなんきち)は、その後、継母しんに育てられた。6つ下の弟・益吉(ますきち)も生まれた。

複雑な家庭環境から、継母によるいじめのようなものがあったのではないかと推測する向きもあるが、それを否定する証言もある。

たとえば中学時代の友人のひとりは、たびたび南吉の家へ遊びにいったが、しんは、夕食どきになると、ごく当たり前のような調子で朱塗りの立派な膳でもてなしてくれた。この友人は、しんが継母であること自体、まったく気がつかなかったという。

また、のちに南吉が東京外語学校(現・東京外語大)に学んでいた頃、弟の益吉は知多半島(ちたはんとう)の西海岸の寒村で丁稚奉公(でっちぼうこう)をしていた。実子のみを偏愛した形跡はない。

外語学校卒業から数年、苦労の末、南吉の県立安城高等女学校勤務が決まったときも、しんは、「一度でも中学校か女学校の先生になれば、明日死んでもええと思っとった」と、手放しで喜んだという。

それでも、なおかつ、お互いにギクシャクした面が拭(ぬぐ)い切れなかったとすれば、なさぬ仲の悲しさというものなのかもしれない。

■3:自分の「早すぎる死」を予知していた

新美南吉は、昭和18年3月22日、咽頭結核により29歳で没したが、南吉自身、己の早世(そうせい)の可能性を、早くから意識していた気配がある。南吉自作のこんな短歌がある。

《わが母もわが叔父もみな夭死せしわれまた三十路をこえじと思ふよ》

昭和6年2月の作というから、新美南吉が旧制中学を卒業する前、17歳の時に詠んだ歌である。

実母は29歳、その弟である叔父も30歳余りで病没している。自分も同じような運命をたどるに違いない。青春期特有の感傷が色濃くにじんではいるが、多少なりと覚悟めいた気持ちもあっただろう。

昭和16年、28歳の南吉は、豊島与志雄(とよしまよしお)の推薦で、『良寛物語・手毬(てまり)と鉢の子』を執筆・刊行した。この企画はヒットし、初版1万部がその年のうちに1万増刷され、計2万部の発行となった。予期せぬ高額の印税も支払われた。父は驚き喜び、こんな言葉を口にした。

「正八はえらいもんになりやがった。年に1300円ももうけやがった」

これを伝え聞いた南吉は、日記に「僕はひとつの親孝行をしたと思った。やがてすぐまた、不幸をするのだが」と記した。10年前、漠然と自身の早世を思った南吉は、ここに至って、死につながる体の変調をはっきりと自覚していたのである。

■4:女生徒に慕われる先生だった

新美南吉は、高等女学校教師として、最後の最後まで生徒たちと交流を持った。南吉は病が悪化する中で、学校勤務が困難となり、昭和18年2月10日には、正式に安城(あんじょう)高等女学校退職の辞令がおりた。

それでも、病臥(びょうが)した南吉のもとに、生徒たちはスッポンのスープを持っていったり、ドライフラワーの花籠を届けたりした。それに対する、南吉のお礼の手紙が残っている。

「かわいい花かごありがたう/だんだん重く/これから返事かかぬかも/しれません/なにとぞおゆるし」(2月21日付)

「いしやはもうだめと/いひましたがもういつぺん/よくなりたいと思ひます/ありがと/ありがと/今日はうめが咲いた由」(2月26日付)

在職中の南吉は、本来は英語教師でありながら、作文指導も担当して力を入れ、生徒たちの作品を文集や詩集にまとめていた。

そんな新美先生を、生徒たちも慕い続け、同僚たちも認めていたのだろう。葬儀には、安城高等女学校から、20人ほどの生徒と先生が参列したという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)など多数。

 

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